こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、山陰に歴史を刻む城跡、米子城です。
■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
お城にまつわる歴史をひも解くと、あまり知られていない事件に出会うことがあります。米子城にもありました。
築城は、応仁の乱の頃。有力大名の山名氏が築いたと言われています。
戦国期、毛利家「三本の矢」の一人・吉川元春が当地を攻め落とすと、息子・吉川広家が現在の湊山に築城を開始しました。
(米子城鉄御門跡)
その吉川家も関ヶ原で敗れて米子を追われ、その後に入封したのが中村一忠。
中村家は豊臣秀吉の三中老の一角でしたが、関ヶ原では東軍徳川方に与します。
この論功が認められて、初代・米子藩主に抜擢されたのでした(1600年)。
このとき一忠は齢11歳。そこで、家康は後見役として、信頼の厚い横田内膳正村詮を同行させました。
この執政家老・横田村詮が能力あふれる人だったことが悲劇を生みます。
村詮は米子城下に入ると、街づくりに手腕を発揮。
藩内各地から民衆を移住させ、職人・商人の街を構築。運河を整備するなど、いまの米子の街の原型をつくりました。
(米子城跡からの眺望)
この才覚を妬んだのが、安井清一郎ら城主の側近。
少年城主・一忠をそそのかして、村栓を誅殺してしまったのです(横田騒動)。
これを聞いた家康は大激怒。安井ら側近を即刻切腹に処すと、藩主・一忠も品川宿留の謹慎処分とします。
その後、一忠も20歳で急逝。中村藩は絶えました。
1617年に米子藩は廃藩。だから、米子藩って江戸の初期しか存在しなかったんですね…。
米子城はその後、鳥取藩主・池田家の所領となりますが、明治に入って石垣を除いて取り壊されました。
■城ぶらり
そんな米子城をぶら歩き。
城のあった湊山は標高90mの小高い山。「城ぶら」恒例の山歩きになりました。
程なくすると、横田内膳正村詮の威光を偲ぶ遺跡がありました。
それが「内膳丸」。かつては二重櫓と武器庫が設けられていたそうです。
村栓が暗殺されたときには、一族が立てこもったという記録もあるのだとか。無念だったでしょうね…。
さらに進むと、現在はテニスコートになっている「二の丸」跡や、その先に現在は野球場となっている「三の丸」跡が見えます。
汗をぬぐいながら、石段を登ると石垣が見えてきました。「本丸」跡です。
石垣の規模からしても、そこそこの規模であったことが推察されます。
本丸からは、米子の街を一望できます。
すばらしい眺めです。海もきれいです…。
戦国時代は、尼子氏と毛利氏が熾烈な奪い合いを繰り返した重要拠点。
天守の礎石の跡が残っています。眺望を楽しむどころか、敵が来ないか四方を監視していたのでしょうね。
山歩きした後は、海沿いを散歩するのもおすすめ。
気持ちのいい街だなぁ、米子。もっとゆっくりと訪ねたいなって思いました。
ありがとう、米子城! ありがとう、米子!
■基本情報
名称:米子城跡
住所:鳥取県米子市久米町
アクセス:JR米子駅から徒歩20分
時間:24時間
入場料:無料