滋賀大津「義仲寺」平家を圧倒!朝日将軍木曾義仲が眠る寺社

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、朝日将軍と呼ばれた源義仲(木曾義仲)の眠る「義仲寺」(滋賀県大津市)です。
「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!義仲を祀る「義仲寺」へ、義仲の墓所、巴御前を祀る塚などをめぐります。そこには義仲を敬愛した俳聖の墓も…。

■木曽義仲

源義仲(木曾義仲)は、河内源氏の血を引く源義賢の次男として生まれました。
幼名は駒王丸。出生地は義賢が館を構えた武蔵国の大蔵館と伝わります。

義仲が2歳のとき、父義賢がその兄義朝との対立によって、義朝の長男義平に討ち取られます。
義仲にも殺害命令が出されますが、大蔵館から密かに信州木曾に逃されました。

治承4年(1180年)、木曾の地で成長した義仲のところに、以仁王から平家打倒の令旨が届きます。
これに応じて同年9月、義仲は信州で兵を挙げると、越後から北陸へと快進撃を続けます。

寿永2年(1183年)、ついに平家軍と激突(倶利伽羅峠の戦い)。
10万とも呼ばれる平家軍を破ると、破竹の勢いで京に入りました。このとき、平家は安徳天皇を擁して西国に逃れています。

入京後は、後白河法皇から「朝日将軍」と讃えられるも、やがて疎まれるようになります。
義仲軍が京で略奪行為を働くなど治安が悪化。義仲も宮中の政治や文化に暗く「粗暴な人物」として蔑まれます。

孤立した義仲は、同年11月にクーデターを敢行。後白河法皇を幽閉し、独裁権を握ります。
しかし一度傾いた形勢は立ち直りませんでした。源頼朝が京に発した鎌倉軍と戦うと、宇治川の戦いで大敗…。

義仲は、部下の今井兼平ら数名と落ち延びますが、近江国粟津で討死しました。享年31歳。

■義仲寺

源義仲。信州木曾で育ったことから、木曾義仲と呼ばれます。
以前、その生誕地とされる大蔵館は訪れました。

今回訪れるのは、その最期の地…。
滋賀県大津市に、義仲を祀る「義仲寺」(ぎちゅうじ)があります。

境内には、朝日将軍と称された木曾義仲の墓所があります。
義仲を討った頼朝は、父義賢を討った義平の弟…。なんと因縁深い一族でしょうか。頼朝はさらに、娘大姫の婿としていた義仲の嫡男義高も殺害しています。

境内には、義仲の側室で女武者としても活躍した巴御前を祀る塚もあります。
義仲寺は、この地で非業の死を遂げた義仲を、巴御前が供養したことに由来します。巴は「われは名も無き女性」と称し、義仲の墓所近くの草庵で日々供養したのだとか…。

境内にはもう一人、義仲を愛した女性の供養塚がありました。
その女性の名は「山吹御前」。巴御前ととともに、信濃から京へやって来ましたが、義仲敗死の際は、病気のため同行できませんでした。彼女は木曾義高の母とも言われています。

さらに、当寺には、意外な人物の墓もあります。
義仲の墓の右隣に建つのは、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓です。

なんでも芭蕉は義仲の大ファンだったそうで、「骸は木曽塚に送るべし」との遺言を残しています。
境内には芭蕉の句碑や史料館もあります。義仲と芭蕉というのも意外な組み合わせですね…。

(左:松尾芭蕉史料館、右:芭蕉が愛した無名庵)

今日の夢中は、朝日将軍・源義仲ゆかりの地、滋賀県大津にある「義仲寺」でした。

■基本情報

名称:義仲寺
所在地:滋賀県大津市馬場1丁目5−12
アクセス:膳所駅から徒歩7分
営業時間:9:00~17:00(11~2月までは16:00)
定休日:月曜日 (ただし祝日及び4・5・9・10・11月は無休で月曜日も開門)
料金:300円

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