苦難の時代の家康を支えた糟糠の妻"お愛の方"ゆかりの宝台院へ

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、苦難の時代の家康を支えた糟糠の妻"お愛の方"ゆかりの宝台院へ…です。

■家康を支えた女性~お愛の方

家康と共に戦国期を生きた女性、お愛の方。2代将軍・秀忠の生母です。
彼女は、家康に望まれて側室となると、その命が尽きるまで家康を支え続けました

お愛の方は、はじめ三河の武将・西郷義勝の妻となり、一男一女を授かりました。
しかし幸せも束の間、義勝は武田家との合戦で帰らぬ人となります。お愛の方は、幼子を抱えたまま未亡人となりました。

その後、母の元に身を寄せていたところを、同屋敷を訪れた家康に見初められ、その側室となりました。
2人の出会いについては、才色兼備の女性(お愛の方)がいるという噂が、浜松城の家康に伝わったことがきっかけであるという逸話が残されています。

叔父にあたる西郷清員の養女となって家康に仕えたことから、西郷局(さいごうのつぼね)とも呼ばれるお愛の方。
家康との間に、のちに2代将軍となる徳川秀忠と、のちに尾張清州藩主となる松平忠吉の2人の息子を授かりました。

親しみやすく優しい性格で、家康だけでなく家臣団からも信頼されていたといいます。
しかし、合戦続きの世の中で心労が重なったのでしょう…。天正17年(1589年)に逝去。享年は28歳とも38歳とも言われています。

■宝台院

徳川家康の苦難の時代を支えた糟糠の妻ともいうべき存在が、お愛の方(西郷局)です。
温和誠実な性格で家臣や侍女たちにも好かれていたそうです。2代将軍・秀忠の生母でもあります。

そんなお愛の方ですが、天正17年(1589年)に若くして駿府でこの世を去りました。
その遺骸が葬られたのが、駿河国の龍泉寺です。現在の静岡県にある宝台院がそれです。

後に徳川幕府を開いた家康は、龍泉寺に朱印(寺社領の安堵)30石と自画像、父広忠から譲られた太刀を寄進し、17回忌の法要を営んだと伝わります。
さらに、息子の秀忠も母のために盛大な法要を行ったとされ、このときにお愛の方の法名である「宝台院」と呼ばれるようになりました。

死後も大切にされたお愛の方…。周りから愛される人柄であったことがうかがい知れますね。
境内には、そのお愛の方(西郷局)の墓があります。苦しい時代の家康を支え、家中をまとめた女性。静かに手を合わせました。

建物の中に入ると、特別拝観のタイミングで貴重な文化財が多く展示されていました。
家康の守り本尊で白本尊と呼ばれる阿弥陀如来立像や家康の自画像など。秀忠の位牌と並んでお愛の方の位牌も置かれていました。

家康の生きた戦国時代は、武将たちの逸話ばかりが喧伝されますが、その影には必ず女性がいます。
三方ヶ原の戦いや設楽原の戦いなど苦難の家康を支えた女性、お愛の方。彼女の慈愛の心が、家康や家臣団を癒したのかもしれませんね…。

今日の城ぶらは、家康を支えた女性、お愛の方の菩提寺「宝台院」を訪れました。

■基本情報

名称:宝台院
住所:静岡県静岡市葵区常磐町2丁目13−2
アクセス:JR静岡駅から徒歩10分
営業時間:9:00~16:00
休館日:月曜・年末年始


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