こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、京都府長岡京市にある城跡、勝竜寺城です。
■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
勝竜寺城の築城は室町時代。
山城守護の畠山義就が郡代役所として築いたものと思われます。
その後、応仁の乱の頃には軍事拠点として城郭に発展しました。
戦国時代には、上洛した織田信長が5万の大軍でこの城を攻略。対峙する三好勢を追い出しました(勝竜寺城の戦い)。
その勝竜寺城を信長から任されたのが細川藤孝です。
藤孝は信長の命により、この城を二重の堀と土塁を持つ堅固な城に改修しました。
皮肉にも、その信長を斃した明智光秀が、本能寺の変の後に勝竜寺城に入城します。
しかし、その光秀もこの城からほど近い天王山で秀吉に敗北。城は落城しました。
江戸時代に入り、山城長岡藩主の永井直清により勝竜寺城は修築が行われますが、1649年に直清が摂津高槻藩に転封されると、廃城となりました。
■城ぶらり
そんな様々な歴史を刻んだ勝竜寺城をぶら歩きしましょう。
城跡(本丸跡)はいま、勝竜寺城公園として整備されています。
本丸跡は、東西約105m、南北約70m。周囲を堀が巡っています。
南門に建つのは模擬櫓。公園の管理棟です。2階には史料が展示されています。
(南門)
立派な虎口も再現されています。
細川家の家紋である「九曜紋」があちらこちらに見られます。
(南門虎口)
北門は、天王山で秀吉に敗れた明智光秀が夜陰に紛れて逃げ出した門と言われています。
枡形の構造をしているのは、大軍が攻めにくいように工夫したもの。細川藤孝が改修したそうです。
(北門跡)
天守跡ともされる西側の土塁にのぼると、その先には、秀吉と光秀が戦った天王山が見えます。
ほんと、すぐ近くなんですね…。この決戦で敗れた光秀は、ここ勝竜寺城から坂本城に落ち延びる途中で命を落としました。
(西側土塁からのぞむ天王山)
■細川ガラシャ
城内でひときわ目を引くのが、仲睦まじい男女の像。
これは、細川藤孝の嫡男・忠興と明智光秀の娘・玉(後の細川ガラシャ)の像です。
2人はともに16歳の時に、ここ勝竜寺城で盛大に結婚式を挙げました。
早くに長男が誕生するなど幸福な新婚生活を送っていましたが、光秀が謀反を起こすと状況は一変。玉は幽閉されました。
変転する人生のなかで彼女が救いを求めたのはキリスト教でした。洗礼名はガラシャ。
関ヶ原合戦の直前、石田三成が彼女を人質に取ろうと屋敷を取り囲むと、それを拒んで屋敷に火を放ち壮絶な最期を遂げました。
悲運の姫君、細川ガラシャ。
ここ勝竜寺城では、彼女の輿入れの様子を再現する「長岡京ガラシャ祭り」が毎年11月に行われ、広く市民に親しまれています。
ありがとう、勝竜寺城! ガラシャ姫の魂よ、安らかに。
■基本情報
名称:勝竜寺城公園
所在地:京都府長岡京市勝竜寺13-1
アクセス:JR長岡京駅から徒歩で10分
営業時間:(4~10月)9:00~18:00、(11~3月)9:00~17:00
定休日:毎週火曜日、年末年始