源頼朝・義経兄弟、涙の対面石!頼朝・政子、愛の腰掛石も…

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、源頼朝と義経が涙の対面を果たした、静岡清水「八幡神社」対面石です。

■いざ富士川

ときは源平合戦期。いざ富士川…。
この日訪れたのは、静岡清水にある「八幡神社」。源頼朝と義経が涙の対面を果たした場所です。まずは、その対面に至る経緯を振り返りましょう。

治承4年(1180)10月、ついに鎌倉入りを果たした源頼朝
これに対し、ときの権力者・平清盛は追討の兵を派遣することを決定します。

頼朝は、平家軍を迎え撃つべく、坂東武士を率いて鎌倉を発します。
さらに、甲斐国からは甲斐源氏を率いる武田信義が出兵しました。

源平両軍は、富士川を挟んで対峙します。いざ決戦…!
しかし、平家軍は飢饉による兵糧不足から士気が大きく低下していました。

武田信義軍が平家軍の背後を衝こうと富士川に入ると、水鳥が一斉に飛び立ります。
これに驚いた平家軍は大混乱となり、戦うことなく撤退しました…。

合戦の翌日、黄瀬川に滞陣にしていた頼朝のもとに、一人の若武者がやって来ます。
この若武者こそ、頼朝の挙兵を聞いて奥州平泉からや駆けつけた、弟・義経でした。

頼朝は義経の手を取り、涙を流してその参陣を喜んだと言います。
義経はこの後、天才的な軍略を発揮して、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦で勇躍、ついに平家を滅亡に追いやりました。
しかし、やがて頼朝はその義経に対して、非情な態度をとるようになるのです…。

■対面石

源頼朝と義経の涙の対面…。
数ある源平合戦のハイライトのなかでも、感動的な場面の一つです。

2人が対面したとされるのが、静岡県清水町の「八幡神社」
その境内に、頼朝・義経の兄弟が対面したときに腰かけたと伝わる石があります。

「対面石」(たいめんせき)。ここで2人は、涙を流して対面を喜んだと言われます。
頼朝は、先祖の源義家が後三年の役で苦戦していたときに、弟の義光が官職を辞して奥州に駆け付けた例を引き合いに出し、義経と共に平家打倒を果たすことを誓いました。

その後の兄弟の相克を思うと、この対面石の近い距離感が哀れでなりません。
頼朝は平家打倒を果たすと、やがて義経を追い詰め、果ては死に追いやるのです…。

ここから西へ足を伸ばすと、「平家越」と呼ばれる富士川の古戦場碑があります。
平維盛の率いる平氏軍が、水鳥の群れ立つ羽音に驚いて、戦わずして敗走したと伝えられている場所です。

近くを流れる川沿いからはこの日、日本の名峰・富士山が良く見えました。
官軍の無様な敗戦を受けて、戦乱は東国のみならず、全国に広がっていくのです…。

■腰掛石

さて、そんな兄弟の涙の対面石の近くに、もう一つ、頼朝ゆかりの対の石があります。
それが、静岡県三島市の「三嶋大社」にある、源頼朝・北条政子の「腰掛石」です。

治承4年(1180)5月に頼朝が平家追討の願いをこめて百日の日参をしたときに、腰をかけて休憩したと伝わる腰掛石です。
左側の石に源頼朝が、右側の石に北条政子が腰掛けたそうです。

近くには、源頼朝に仕えていた安達盛長が警護した場所「安達盛長警護の跡」があります。
安達盛長は、「鎌倉殿の13人」と呼ばれる13人合議制の一人。頼朝と政子の仲を取り持った人物と言われます。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、頼朝・政子が三嶋大社へ初デートに出かけるシーンが描かれていましたね。
三嶋大社のご利益を得て2人の恋は成就しましたが、それにより政子は後に「尼将軍」と呼ばれる苛烈な人生を歩むことになるのです…。

頼朝と義経頼朝と政子
ふたつの出会いは、その後の日本を大きく揺り動かすことになりました。

■基本情報

【対面石】
名称:八幡神社(対面石)
所在地:静岡県駿東郡清水町八幡39
アクセス:JR三島駅、JR沼津駅よりバスで15分「国立病院入口」下車

【平家越】
名称:平家越
所在地:静岡県富士市新橋町11
アクセス:岳南鉄道「吉原本町」駅下車徒歩10分

【腰掛石】
名称:三嶋大社(腰掛石)
所在地:静岡県三島市大宮町2丁目1−5
アクセス:JR三島駅から徒歩15分

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