城ぶら「高藤山城」!上総広常の城?房総に覇を唱えた武将の命運

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、房総上総に覇を唱えた武将上総広常の居城と言われる「高藤山城」です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

治承4年(1180)平家打倒の兵を挙げた源頼朝ですが、石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れます。
再挙をはかる頼朝は、房総半島の豪族たちに協力を求めました。

その一人、下総国の豪族・千葉常胤は、源氏の再興に感涙するほど極まり、速やかに300騎を率いて頼朝のもとに参陣。頼朝から、「父と思う」という賛辞を受けます。
一方、上総国を治める豪族・上総広常は、「千葉介(常胤)と相談したい」と回答を保留します。

頼朝は、上総広常の参陣を待たずに、房総半島を北上、さらに西の隅田川付近まで軍を進めます。
そこにようやく広常が2万もの軍勢を引き連れ、頼朝のもとに馳せ参じました。

このとき広常は、頼朝に大将の器がなければ討ち取って、その首を平家に捧げようと考えていたと言われます。
広常と対面した頼朝は、その参陣に感謝や喜びの意を示すどころか、広常の遅参を咎めました。この振る舞いに感じ入った広常は、その場で頼朝に恭順、配下に加わりました。

広常の強大な兵力を手にした頼朝は、一気に劣勢を挽回、東国武士を糾合しその盟主に立ちます。
しかし、頼朝配下で大きな兵力を有する広常は無礼な振る舞いが多く、頼朝に対して下馬の礼をとらず、ほかの御家人に対しても横暴な態度で接しました。

寿永2年(1183)頼朝は、広常が謀反を企てたとして、梶原景時に暗殺を命じます
何も知らぬ広常は、景時と双六に興じている最中に突如斬りつけられ、命を落としました。

■城ぶらり

平安時代末、房総半島に強大な勢力を築いた上総広常
その居城についてはいくつか説がありますが、その哀れな末路もあって正確には分かっていません。

向かったのは、その有力候補のひとつ、千葉県一宮町にある「高藤山城」です。
「千葉大系図」で、広常の居城があったとする一宮柳沢城。これが、高藤山城であるといいます。

その高藤山城は、その名の通り「山城」です。
広大な田園風景のなかにそびえ立つ、鬱蒼とした木々に包まれた山…。そこが、高藤山城とされる古城址です。

この小高い高藤山の東側、「憩いの森通り」という道路を進んでいくと、「高藤山城址入口」という看板がありました。
一宮町観光協会作成の旗もたなびいています。書かれている言葉は「NHK大河ドラマ登場上総広常伝承地高藤山城」。伝承地が数ある中でしっかりとアピールしてます。こういうの大事ですよね。何しろ、ドラマでは佐藤浩市さんが演じる重要人物ですから。

そこから細い山道を登って、山頂に向かいます。
標高約80m、歩いて10分ほどですが、これが急な登り坂もあって大変でした…。雨天時や雨上がりなどは避けた方がいいでしょう。

ひーひー言いながら、ようやく山頂へ。すると、そこには剣路から一転、整地された台地が広がっていました。
ここが本丸跡とされる場所。確かに、人の手が入っている感じ。土塁と堀切の跡と思われる遺構もあります。

その一角に、広常の功績を称える古碑が建っています。
これは、幕末に一宮藩主・加納久徴が、郷土の英雄の居館跡が変容し忘れられることを懸念して建立したものです。

山城の南西にある妙勝寺が、城への正門であったと言われています。
ここからも高藤山(左奥)が見えます。境内にも土塁跡のような遺構が残っていて、平安末期へ思考が飛んでいきます…。

果たして、ここが上総広常の居城だったのか…。
他にも東金市説やいすみ市(布施村)説などもあり、未だ解明されていません。それだけ、広常の版図が巨大だったということでしょう。

■寺社ぶらり

謀反の疑いで誅殺された上総広常ですが、その後、広常が神社に奉納した願文が見つかります。
そこには、頼朝の大願成就を祈る言葉が記されていました。これを見た頼朝は、広常を殺したことを後悔し、広常の一族を赦免しました。

その問題(?)の願文が奉納されたのが、上総一ノ宮にある「玉前神社」です。
延長5年(927)成立の「延喜式神名帳」にその名が記載されている古社。上総国一宮として古来から崇敬を受ける神社です。

願文そのものは戦国期に焼失しましたが、その文言を今に伝える顕彰碑が境内に建っています。
文言を辿っていくと、「爲前兵衛佐殿下心中祈願成就」という言葉が刻まれていました。それは、広常が源頼朝(前兵衛佐殿)の大願成就を祈願したもの…。

さらに、広常は東国の泰平も祈願しています。
そんな人物が謀反の寝れ衣で誅殺されるとは…。なんとも痛ましいですね。

さて、赦免された広常の一族ですが、嫡男の能常は自害しており、多くの所領は千葉氏のものになりました。
果たして、広常暗殺に至った頼朝の真意はどこにあったのか…。こちらも、上総広常の居城の場所とともに、詳細は不明です…。

■基本情報

【高藤山城】
名称:高藤山城跡
所在地:千葉県長生郡一宮町一宮7692
アクセス:JR上総一ノ宮駅から徒歩50分

【玉前神社】
名称:玉前神社
所在地:千葉県長生郡一宮町一宮3048
アクセス:JR上総一ノ宮駅から徒歩8分

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