こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。
いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、2代将軍頼家の子・善哉、出家して公暁となる…修行の地・近江「園城寺」です。
■公暁
公暁(くぎょう/こうきょう/こうぎょう)。幼名は、善哉(ぜんざい)。
正治2年(1200)、2代将軍源頼家の次男として生まれます。
しかし、将軍の子として過ごした時期はわずかでした…。建仁3年(1203)父頼家は将軍職を追われ伊豆に幽閉されると、その翌年、北条氏によって暗殺されました。
北条氏は、頼家の長子・一幡も亡きものとし、3代将軍に頼家の弟・実朝を据えました。
一方、善哉は、祖母の政子の計らいにより、鶴岡八幡宮寺別当・尊暁の門弟に、さらに将軍・実朝の猶子となりました。
12歳のときに出家して僧侶となると「公暁」の戒名を授けられます。
出家してすぐ上洛し、近江国の園城寺(おんじょうじ)で修行を積みました。
建保5年(1217)18歳のときに、政子の命で鎌倉に帰り、鶴岡八幡宮別当となります。
このとき、公暁は一向に髪を下ろそうとしなかったので、人々はこれを怪しんだといいます。
そして運命の日がやって来ます。それは雪の降る寒い日でした…。
幼名善哉、長じて20歳となった公暁が、鎌倉を震撼させる悲劇を引き起こすのです…。
■園城寺
公暁ゆかりの滋賀「園城寺」(おんじょうじ)へ。
園城寺は天台寺門宗の総本山、一般には三井寺(みいでら)として知られています。
まずは仁王門。
仁王像が守護する三井寺の玄関。「大門」とも呼ばれるこの仁王門は、徳川家康の寄進によるものです。門の左右には室町時代の仁王像が鎮座しています。
仁王門を入ると、山伏姿の修験者たちが行進していました。
釈迦堂の前に並ぶと、皆で経を唱和しました。公暁もこのような修行を積んだのでしょうか…。
続いて、園城寺の本堂「金堂」へ。桃山時代を代表する名建築で、国宝に指定されています。
堂内には、円空仏・尊星王・不動明王など様々な仏像が祀られています(堂内は撮影不可)。
「音の三井寺」とも呼ばれる園城寺。金堂の近くには、天下の三名鐘の一つ「三井の晩鐘」があります。実際に鐘をつくこともできます。
また、金堂の裏手には「閼伽井屋」(あかいや)があります。「閼伽井」とは仏様にお供えする聖水をたたえた井戸のこと。近くに行くと、水が湧き出る神秘的な音が聞こえます。天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたことから、「三井」寺という名前の由来になったと伝えられています。
(左:三井の晩鐘、右:閼伽井屋)
武蔵坊弁慶ゆかりの遺物もあります。それが「弁慶鐘」。弁慶が三井寺から奪って比叡山まで引き摺り上げたと伝えられる鐘です。
しかしいざ鐘をついてみると「イノー、イノー(関西弁で"帰りたい")」と響いたので、弁慶は怒って谷底へ投げ捨ててしまったそうです。鐘にはその時についたとされる傷が残っています。
続いて「唐院」へ。開祖・智証大師をお祀りしている三井寺の聖域です。
奥にある三重塔は奈良・世尊寺(旧比蘇寺)から移築されたもので、重要文化財に指定されています。
緑の境内を歩いていくと、朱色の御堂が静かに建っていました。
毘沙門天を祀る「毘沙門堂」です。桃山時代の秀麗な様式を受け継いだ建物。緑と朱のコントラストが美しいですね…。
さらに歩みを進めて「観音堂」へ。西国三十三所観音霊場の一つ。ご本尊は33年に一度ご開扉されるのだとか。
観音堂の前には、観月の名所とされる「観月舞台」があります。眼下には琵琶湖の景観や大津の町並みが一望できました。
いやぁ、広かった…。さすがは、平安時代の文学で「寺」といえば「三井寺」(園城寺)を指すと言われた古刹。
広大な敷地は、僧らにとって絶好の修行の場となったことでしょう。
2代将軍頼家の子「善哉」、出家して「公暁」は、ここで修行を積みました。
この深淵につながるような広大な敷地は、彼の胸の奥深くに刻まれた怨恨を研ぎ澄ますのにも、絶好の場であったのかもしれません…。
その怨恨は、積もり積もって、ある雪の日に惨劇を引き起こすことになるのです…。
それについてはまた、この先の「夢中図書館」にて綴っていきます…。
■基本情報
名称:園城寺(おんじょうじ)
所在地:滋賀県大津市園城寺町
アクセス:京阪電鉄「三井寺」下車徒歩7分、JR「大津」下車徒歩10分
拝観時間:8:00~17:00
料金:大人600円、中高生300円、小学生200円