城ぶら「大庭城」!大庭景親の武勇と舟地蔵伝説が残る古城址

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、東相模に残る平安の古城址「大庭城」(神奈川県藤沢市)です。
「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!相模に覇を唱えた大庭景親の広大な居城跡。戦国期には北条早雲も攻めました。悲しい「舟地蔵」伝説も…。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

平安時代の末期、この地は「大庭御厨」と呼ばれる伊勢神宮の荘園でした。
この荘園を開拓したのが、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景正(権五郎、景政)。後に子孫は大庭氏に改姓し、この地を治めました。

城を築城したのは、景正の孫にあたる大庭景宗と言われます。
その子が、平氏の家人として相模国に覇を唱えた大庭景親。景親は、平氏打倒の兵を挙げた源頼朝を石橋山の戦いで破ると、その後も平氏方として頼朝軍と対峙しました。

福原の平清盛に、頼朝挙兵を報せる早馬を出したのも大庭景親です。
しかし、平氏の追討軍は遅々として進まず、その間に頼朝は安房で再挙、捲土重来を果たします。東国武士が次々と手を反して頼朝の軍門に下るなか、景親は曲げず最後まで抵抗。最後は敗れて斬首されました。

その後、当地は扇谷上杉氏の版図となり、築城の名手・太田道灌によって城の改修が行われたと伝わります。
その大庭城も、相模に侵攻してきた北条早雲によって落城。城は後北条氏の支配下に入ります。

早雲は、大庭城を東相模支配の重要拠点として改修強化しましたが、後に玉縄城ができると利用価値は低下。
やがて小田原征伐(1590)によって後北条氏が滅亡すると、大庭城も廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、平安時代から残る古城址、大庭城跡をぶら歩きしましょう。

大庭城跡はいま、「大庭城址公園」として整備されています。
かつて城門だったかもしれない入口を通って、屈曲した坂道を上っていきます。

坂道を登り切ると、高台に広大な平場が広がっていました。これはでかい…。
大庭城が相当な規模であったことがうかがえます。ただ、全面的な発掘調査が未了のため、城の全容は分かっていません。

それでも案内版によると、この高台を東西に横断する3本の空堀が分かち、一の郭、二の郭、三の郭、四の郭が形成されていたとのこと。
一番北に位置するここは、その中でも最も広い「四の郭」とされる曲輪です。戦時は、兵たちが詰めかけたのでしょうね…。

この郭と隣り合う「三の郭」も、大きな平場が広がっています。土塁や空堀と思しき場所も…。
東端には、物見台のような跡がありました。これは元々あったものなのかしら?残念ながら、詳細は分かりません…。

一方、明らかに空堀跡と思われる遺構が残っているのが、「三の郭」と「二の郭」の境界。
「二の郭」の一部は、わんぱく広場として整備されています。すべり台は、空堀の傾斜を利用して作られています。なお、前項で写真を載せた「大庭城址」の石碑もこの空堀跡の近くにあります。

同じく空堀ファンが喜びそうなのが、「二の郭」と「一の郭」(主郭)を隔てる空堀跡
道を挟んで両側に堀跡が伸びています。その空堀の南側、高台の一番南に位置するのが「一の郭」、主郭があったと推察される場所です。

「一の郭」(主郭)には、建物跡と思しき石柱跡が残っています。
これは、昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴を示したもの。実際の柱穴は現地表下50㎝に保存されています。
ただ、この建物がどのような役割を果たしたのかは、未だ分かっていません。屋敷跡?櫓跡?さすがに天守はないか…。妄想が広がりますね…。

この主郭と思しき平場の南端に、大庭城のあらましを記した石碑がありました。
大庭景親の居城であったという記載に始まり、上杉定正や北条早雲の名も刻まれています。

大庭景親は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場。國村隼さんが演じています。物語序盤の強大な敵として、源頼朝や北条氏の前に立ちはだかりました。
大庭氏が滅んでもなお「大庭」の地名が残るのは、最後まで勇敢に戦った勇将に対する敬意なのかもしれません。

その石碑の近くにある南出口から退出すると、恒例の山道でした…。
大庭城は分類としては「平山城」の構造です。お足元にはくれぐれもご注意ください。

大庭城の南出口から程近いところに「舟地蔵」があります。こちらも、大庭城ゆかりの史跡です。
永正9年(1512)、北条早雲が大庭城を攻めあぐねていたとき、近くに住む老婆から川を堰き止めれば水が干上がることを聞きます。

ようやく攻城の糸口を掴んだ北条軍は、口封じのために老婆を斬り殺して、城を攻め落としました。
この舟地蔵は、殺されたあわれな老婆を供養するために、土地の人々が後に城の近くに建てたと伝えられます。

源頼朝と戦った大庭景親、江戸の基礎をつくった太田道灌、戦国の風雲児・北条早雲…。
歴史ファンにとっては、なかなかに興味をかき立てられる城跡です。まだ全容が明らかになっていないのも、浪漫が広がりますね。

ありがとう、大庭城! ありがとう、舟地蔵!

■基本情報

名称:大庭城址公園
所在地:神奈川県藤沢市大庭字城山5230-1
アクセス:(1)藤沢駅からバス「舟地蔵」バス停下車 (2)辻堂駅からバス「大庭小学校前」バス停下車

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