城ぶら「金川城」!堅牢にして悲運の城はいまも難攻不落?

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、岡山の城ぶら第3弾。金川城です。

■城語り

今回訪れる「金川城」は、ほぼ無名の城だと思います。
実は館長ふゆきも知りませんでした…。

…ということで、まずはどんなお城なのかを見てみましょう。
いつ誰がつくったの?物語りならぬ「城語り」(しろがたり)から。

築城年は承久年間(1219~1222)と言われています。
築城者は松田盛朝。鎌倉時代の承久の乱で軍功のあった盛朝が、備前国御野郡に所領を与えられて築城したと考えられています。


(金川城のある臥竜山)

この松田氏。調べてみると、なかなかのドラマがありました。
松田氏は、応仁の乱では山名氏に与して赤松氏らと戦いながら、備前国西部に権勢を広げます。
その武力を支えたのが、「西備前一の堅城」とうたわれた金川城でした。

しかし、戦国時代に入ると、その堅城がもろくも崩れ落ちました。
攻め落としたのは、戦国の奸雄、宇喜多直家。当時(1568年)の当主・松田元賢にとっては義父(妻の父)でした。
直家は、松田家家臣の伊賀久隆を内応させて、突然城を攻めさせたのです。

この裏切りによって、金川城は2日で落城。元賢も討ち取られ、名門・松田家は滅亡しました。
なお、元賢の妻も後を追って自害。なんとも悲しい落城ですね…。

■城ぶらり

そんな金川城、別名「玉松城」を「城ぶら」!
…のつもりでしたが、事態は予定外の展開に。

JR金川駅を降りると、どしゃぶりの雨…。
GoogleMapを頼りに金川城御津口を目指すと、きっと誰も気づかない、単なる山肌にぽつねんと案内板がありました。

しかもボロボロ…。人の気配もありません。
それでも勇気をふり絞って山道に踏み入ります。

どろっ、ぼちゃっ。一歩進むごとに、靴が地面にぬかるみます。
しばらく登ると、その先は完全にけもの道…。これはヤバい…。

身の危険を感じて引き返しました。このときすでに靴の中は浸水50%
それでも諦めきれず、もう一つの登城口である西側に向かいます。

歩くことしばらくして来ました、登城口のあるという七曲神社付近へ。
七曲神社は松田氏の氏神なんですね。

松田氏の悲運を思うと、普段の参拝とは気持ちの入り方が違います。
泥水の中を分け進んでお参りしました。このとき浸水70%

ただ、どこを見渡しても登城口が見当たりません。
さらに野草がしげるけもの道をわけ進もうとしても、雨水が流れてきて侵攻を妨げます。

ここに来て、浸水120%…
もはや、靴が靴の体をなしていません。歩くたびに、水浸しの靴の中から雨水が外に出ていく始末…。

あえなくギブアップ…。とても城ぶらどころではありません。
残念ながら、山城の全体像を把握することはできず、撤退と相成りました。

■金川城、その後

ちなみに、この金川城。
松田氏滅亡のあとは、宇喜直家の弟・春家が入城しました。
関ヶ原の戦いで宇喜多氏が改易となると、代わって入城したのは小早川秀秋です。

なにこれ?裏切りをした武将への嫌がらせ?
その嫌味を感じたのか、秀秋は金川城を廃城にしました。

この金川城、城の構造は山城です。
今回の城ぶらでよく分かりました。天気の悪い日は、山城の城ぶらはやめたほうがいい…。
金川城は、城ぶらに挑む者にとって、いまも難攻不落でした。

ありがとう、金川城!

■基本情報

施設名:金川城跡
所在地:岡山県岡山市北区御津金川709-2133

アクセス:JR岡山駅からバス、JR金川駅から徒歩で25分
開城時間:無料

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