城ぶら「月山富田城」!戦国の覇権争う難攻不落の山城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、島根県安来市の山城、月山富田城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

今日「城ぶら」するのは、戦国の山城・月山富田城
主な城主は、尼子氏、吉川氏、堀尾氏。築城年は不明です。

特に、この難攻不落の山城を居城として勢力を伸ばしたのが、戦国大名・尼子氏
一時、出雲・石見など11ヶ国を制し、山陰・中国の覇者となりました。

しかし、群雄割拠の戦国時代、1560年に当主・尼子晴久が急逝すると、毛利の猛攻を受けます。
尼子氏は籠城して総攻撃を1年半凌ぎましたが、最終的には力尽きて開城。城は毛利氏のものになりました。

その毛利氏も、関ヶ原の戦いで敗北すると、同地から撤退。
1600年、徳川の信頼篤い堀尾氏が城主として入城しました。
堀尾氏はその後、交通至便の松江城に移り、月山富田城は廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、そんな戦国の山城・月山富田城を城ぶらします。
麓に立つのは、尼子氏の家臣・山中鹿助の銅像。尼子氏再建のため命をかけた悲運の武将ですね。

花の壇、山中御殿跡などの史跡を抜けると、目の前に小高い山があらわれます。
この山こそ、月山(がっさん)。山一帯が城となる天然の要塞、月山富田城です。

もちろん、本丸は山の頂上。
そこにたどり着くには、「七曲がり」と呼ばれる、クネクネした山道を登らないといけません。
こりゃ毛利も攻めあぐねたわけだ…。

必死の思いで頂上部に着くと、三の丸に二の丸と、石垣の砦が続きます。
発掘調査では建物や柵の跡や備前焼の甕が見つかったのだとか。籠城の名残りでしょうか…。


(三の丸)


(二の丸)

それらに守られた本丸跡は、いまは静かな野原。
それでも四方を見渡せる眺望は山城ならでは。まさに戦国の山城、天然の要塞ですね。


(本丸跡)

城主気分を味わったのも束の間。再び、七曲がりの下り道へ
またこの道を歩くのか…。山城の「城ぶら」は、足腰に効きますね(苦笑)。

ありがとう、月山富田城! ありがとう、戦国の山城!

■基本情報

名称:月山富田城
所在地:島根県安来市広瀬町富田

アクセス:JR安来駅からバスで25分

ブログランキングに参加しています

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事