城ぶら「伊東館」!頼朝に立ち塞がった伊東祐親!八重姫の悲恋も…

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、伊豆伊東を治めた豪族伊東氏の居館跡「伊東館」です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

「伊東館」は、伊東氏代々の居館があった場所とされます。築城年代は定かではありません。
伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国伊東荘を本領として栄えた豪族で、藤原南家の流れをくむ伊東祐隆(工藤祐隆)を祖とします。

祐隆は、嫡男祐家が早逝していたため、後妻の娘の子祐継を嫡子として、本領の伊東荘を継がせました。
一方、祐家の子祐親も養子に迎え、河津荘を譲りました。所領を分割して相続させたわけです。

これに不満を持った祐親は、祐継の死後、その子祐経(工藤祐経)の上京中に伊東荘を横領。以後、伊東祐親と称して伊東氏の惣領の地位につきました。
これを恨む祐経は刺客を放ち、祐親の嫡男河津三郎を討ちます。これが後に曽我物語となった曽我兄弟の仇討ちに繋がっていくのです…。

(曽我兄弟の墓/東林寺)

さて伊東祐親ですが、平家方武将として平清盛から信頼を受け、平治の乱で敗れて伊豆に配流された源頼朝の監視役を任されます。
しかし、祐親が上洛している間に、娘八重姫が頼朝と恋仲になり子千鶴丸をもうけます。これを知った祐親は激怒し、平家の怒りを恐れ、幼い千鶴丸を川に沈めて殺害しました。

治承4年(1180)頼朝が平家打倒の兵を挙げると、大庭景親らと共に石橋山の戦いでこれを撃破
しかし再挙兵した頼朝が勢力を盛り返して坂東を制圧すると、伊東祐親は捕らえられ、一時は一命を許されますが、身を恥じて自刃しました。

(伊東祐親の像と市内を流れる松川)

■城ぶらり

それでは、伊東祐親ゆかりの史跡「伊東館跡」をぶら歩きしましょう。

「伊東館」は、平安末期から鎌倉期に伊東の地を治めた伊東氏代々の居館と伝わる史跡です。
諸説ありますが、現在の物見塚公園一帯が伊東館の跡と推定されています。

物見塚公園は、物見の松と呼ばれる老木があり、周囲と比べて小高い台地となっています。
その一角に、伊東祐親の像が建っています。「鎌倉殿の13人」ではすっかり悪役になってしまいましたが、地元では英雄として親しまれ、毎年「伊東祐親まつり」が開催されています。

その伊東祐親の五輪塔(墓)がその近くにあります。
この五輪塔は、祐親の死を悼んで、その子孫が建立したものと伝えられます。

その向かい側に建つのが、伊東家の菩提寺「東林寺」です。
伊東祐親が、息子河津三郎祐泰の菩提を弔うために創建した寺院。境内には、その祐泰の墓とその子曽我兄弟の首塚がありました。

■八重姫・頼朝ゆかりの地

少し足を伸ばせば、伊東祐親の娘八重姫ゆかりの寺社を訪れることができます。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、新垣結衣さんが演じる悲運の女性です。

八重姫は、伊豆に配流されてきた源頼朝と恋仲となりました。
しかし、平氏と源氏の許されぬ恋…。昼間逢うことが難しい2人は、夜を待って密会を重ねました。
2人が密かに逢っていた場所が、「音無神社」の境内にある「おとなしの森」だったと伝わります。

裏を流れる松川の対岸には、「日暮八幡神社」があります。
そこが、「ひぐらしの森」と後世に伝えられるところ。この場所で、頼朝は日暮れになるのを待ったのだそうです。

2人は逢引を重ね、息子千鶴丸を授かりますが、八重姫の父伊東祐親の怒りに遭い殺害されます。
その千鶴丸の菩提を祀るのが「最誓寺」です。母八重姫が奉納したという千鶴丸地蔵菩薩像が安置されています。

また、同寺には、伊東家一族の墓とされる五輪塔が祀られています。
祐親も八重姫も一族も、頼朝によって大きく運命を狂わされました。それは、鎌倉殿にまつわる悲劇のはじまり…だったのかもしれません。

■基本情報

名称:伊東館跡
所在地:静岡県伊東市大原2丁目1
アクセス:JR伊東駅から徒歩25分

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