北条義時ゆかり鎌倉「覚園寺」!義時を救った戌神の伝説と史跡めぐり

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。
いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、北条義時ゆかり鎌倉「覚園寺」!義時を救った戌神の伝説と史跡めぐりです。

■実朝暗殺

建保7年(1219)正月27日、雪の降る日…。鎌倉最大の悲劇が起こりました。
3代将軍源実朝が、兄頼家の子・公暁に襲われ、命を落としたのです。

実朝の他にもう一人、公暁が狙った人物がいました。それは北条義時…。
公暁は、実朝に太刀持ちとして近侍する義時にも凶刃を振り降ろしました。

吹き飛ぶ鮮血…。その男は、実朝と同じく、雪の中で絶命しました。
しかし、公暁が義時と思って斬り殺したのは、義時ではなく源仲章でした。

式の直前、義時は体調不良を訴え、太刀持ちを仲章に代わってもらっていたのでした。
命拾いした義時は、速やかに邸宅に戻ると公暁の誅殺を指示。これを受けた三浦義村の討手によって、間もなく公暁は討ち取られました。

■覚園寺

公暁に狙われながらも、運よく命拾いした北条義時
その事件に関わる伝承および史跡が鎌倉に残っています。

北条義時が建立した大倉薬師堂を起源とする「覚園寺」(かくおんじ)。
建保6年(1218)義時は夢の中で、​十二神将の戌神(いぬがみ)のお告げを聴いて大倉薬師堂を建てました。

翌年、義時は3代将軍実朝の右大臣拝賀式に随行しますが、その途中、白い犬と目が合い動けなくなりました。
そこで急遽、太刀持ちを源仲章に代わってもらいますが、その拝賀式を凶刃が襲います。実朝は惨殺され、さらに自身の代わりを務めた源仲章も斬り殺されました…。

これらは、「吾妻鏡」と「覚園寺縁起書」に記された伝承ですが、なんか怪しいですよね…。
義時は凶行をあらかじめ知っていたのではないか?将軍実朝暗殺の黒幕を北条義時とする北条氏陰謀説はここから来ています。

さらに伝承には続きがあります。不思議なことに、ちょうどその時刻、薬師堂のなかの十二神将のうち、戌神が堂の中から消えていたというのです。
真相は不明です。ただ義時は、戌神のお告げのおかげで難を逃れたとして、さらに篤く薬師堂を敬いました。

後に義時の大倉薬師堂は焼失しますが、永仁4年(1296年)9代執権貞時が「覚園寺」として創建。
さらに文和3年(1354)足利尊氏によって再建されました。境内には、再建された薬師堂や十二神将(戌神も!)があります。写真撮影不可なので、ぜひ足を運んでご覧ください。

はてさて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で一躍脚光を浴びる北条義時。
ドラマでは小栗旬さんが演じる主人公ですが、果たして彼は鎌倉殿を支える忠臣だったのか、それとも…?答えは、歴史の闇のなかです。

実朝暗殺により、実朝に嗣子がいなかったことから、源氏の将軍は絶えました。
この後の鎌倉幕府は、執権である北条義時とその子孫北条一族が統べることとなるのです。

■基本情報

名称:覚園寺
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂421
アクセス:鎌倉駅よりバス「大塔宮」下車、徒歩約10分

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