尼御台!建国の母!尼将軍!北条政子ゆかりの鎌倉「寿福寺」「安養院」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。
いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、尼御台!建国の母!尼将軍!北条政子ゆかりの鎌倉「寿福寺」「安養院」です。

(左:寿福寺、右:安養院)

■北条政子の名演説

治天の君・後鳥羽上皇から発せられた、北条義時追討の院宣
ついに京の朝廷が、東国・鎌倉を呑み込もうと、大きく動き出しました。

俺たちは朝敵になるのか…。東国武士たちに動揺が広がるなか、この女性が立ち上がりました。
北条政子…源頼朝の妻にして、2代将軍頼家、3代将軍実朝の母。「尼御台」(あまみだい)として崇敬を集める彼女が、彼らを前に次のように訴えかけたのです。

皆、心を一つにして聞いてほしい。これが私の最期の言葉です。
故右大将軍頼朝公が朝敵を滅ぼし東国を草創して以降、皆に与えた官位といい俸禄といい、その恩は山よりも高く海よりも深い。その恩に報いる思いは浅かろうはずがない。
なのに今、逆臣の讒言によって道理に叶わぬ宣旨が下された。名を惜しむ者は、早く藤原秀康・三浦胤義らを討ち取って、三代にわたって将軍の作ったこの幕府を全うしてほしい。
ただし、院に仕えるという者はそれでもいい。この場で申し出なさい。

(「吾妻鑑」より。現代語に意訳)

この言葉に、東国武士たちは俄然奮い立ちました。涙を流した者もいたのだとか…。
ついに東国は一致団結しました。鎌倉殿の御恩に報いるんだ、皆で懸命に築き上げてきた幕府を守るんだ…。彼らは命をかけて戦うことを決意したのです。

■名演説の裏側

実はこの演説は、義時追討の院宣を、西国からの道理なき挑戦に巧みにすり替えているのですが、原文は政子とは別の者が起草したと考えられています。
作家の永井路子さんは「大江広元あたりであろう」(著書「つわものの賦」より)と推理していますが、さもありなん…。

誰の筆によるものであったとしても、その内容は東国武士たちの闘争心をかき立てました
頼朝以前の東国は、西国から不当な労役や搾取を強いられていました。それを変えたのが頼朝ら源氏将軍でした。

頼朝以来3代にわたり、皆で築き上げ守り続けた東国の独立を、いま失ってなるものか…。
「西国からの道理なき挑戦」に対する怒りを、「建国の母」とも言える政子が訴えることによって、熱しやすい東国武士の挑戦心は一層高まったと思われます。

(北条政子/イラストACより)

また、実際の演説も、政子が御家人たちに直接語ったものではありませんでした
実朝・政子の側近として仕えた御家人・安達景盛が、政子の言葉を代読したと伝えられます。

代読であったとしても、政子の言葉は聴く者の心に深く突き刺さりました。
源氏将軍の妻そして母にして、東国武士の娘…。政子に対する敬慕の念は、特に源氏将軍亡き後、大きく高まっていたものと思われます。

「尼将軍」と呼ばれる政子ですが、まさに御家人たちにとってかけがえのない将軍…東国を結束する旗印だったのではないでしょうか。
尼将軍・政子の言葉は、東国武士たちの心を動かしました。怯んで恐れおののいていた御家人たちは一転、奮起し出兵へと動いていったのです。

■ゆかりの地めぐり

そんな北条政子が愛した鎌倉へ…。
「尼御台」「建国の母」そして「尼将軍」政子ゆかりの史跡をめぐりましょう。

まずは、鎌倉市扇ヶ谷にある「寿福寺」へ。
寿福寺は正治2年(1200年)、頼朝が没した翌年に、政子がその菩提を弔うために開いた禅宗寺院です。

この付近は、源氏山のふもとに位置する源氏父祖伝来の地
この地に頼朝を弔う寺院を築く辺りに、政子の源氏愛を強く感じます。創建当時は、14の塔頭を有する大寺院だったのだとか。

境内裏手の墓地には、北条政子の墓と伝わる五輪塔があります。
いまも墓前には花が供えられていました。その隣には、政子の息子、3代将軍源実朝の墓(五輪塔)も…。現世では悲劇に切り裂かれた2人ですが、きっとあの世では笑顔で語らい合っていることでしょう。


続いて、鎌倉市大町にある「安養院」へ。
安養院の創建は、承久の乱から4年後の嘉禄元年(1225年)。こちらも政子が頼朝の菩提を弔うために創建した長楽寺を起源とします。

鎌倉末期に長楽寺が兵火で焼失したため、現在の地に移り「安養院長楽寺」と号しました。
「安養院」は政子の法名から取られています。鎌倉を安らかに養った政子にぴったりの法名ですね…。

ここにも、北条政子の墓と伝わる石塔(宝篋印塔)があります。
史書によると政子は勝長寿院(廃寺)に葬られたと記されており、ここに残る石塔も寿福寺の五輪塔も、実際の墓ではなく供養塔である可能性があります。

なお、政子が亡くなったのは、安養院(長楽寺)創建と同じ嘉禄元年(1225年)
その年に病を得た政子は、床に伏して帰らぬひととなりました。享年69歳

■基本情報

【寿福寺】
住所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7
アクセス:JR鎌倉駅から徒歩8分

【安養院】
住所:神奈川県鎌倉市大町3丁目1−22
アクセス:JR鎌倉駅から徒歩10分

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