家康による信長接待"富士遊覧"!「富士山本宮浅間大社」「富士見石」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、家康による信長接待"富士遊覧"!「富士山本宮浅間大社」「富士見石」です。

■家康を辿る物語

天正10年(1582年)、甲州討伐に出陣した織田信長は、武田勝頼を自害に追い込み、武田氏を滅亡させることに成功しました。
信長は、その武田氏と長年戦ってきた徳川家康の功を労い、武田領のうち駿河国を家康に与えました。

これを受けて家康は、甲州から凱旋する信長を出迎える準備を進めました。
まずは、信長に与えられた駿河国と甲斐国を結ぶ街道の整備に取りかかると、休憩所や宿泊所を設置。道中、家康は信長に同行し、各地で手厚く接待しました。

信長と家康の一行は、富士山を観覧した後、白糸の滝、人穴などの名所を見学。2人で乗馬も楽しんだといいます。
家康は、信長の宿泊所として富士山本宮浅間大社に御座所を造営。それは金銀が散りばめられた豪華なものでした。

家康の信長接待「富士遊覧」。信長は家康の手厚いもてなしに大変満足したそうです。
信長は家康に太刀と馬を贈ると、今度は信長が家康を安土城に招待することとしました。

■富士山本宮浅間大社

家康による信長接待「富士遊覧」。家康は信長の凱旋旅行を手厚く接待しました。
今日はそのゆかりの地「富士山本宮浅間大社」を訪れましょう。

(大鳥居、流鏑馬像)

実は信長が訪れたとき、同社は北条氏によって社殿はじめ付近一帯が焼き払われていました。
そこに家康は、信長を迎える御座所を造営しました。一晩泊まるだけなのに、その様は金銀を散りばめた豪華なもので、四方を兵や柵で固めました。

家康の配慮のほどがうかがい知れますね…。当時の2人の関係からしても、家康は決して粗相できなかったのでしょう。
残念ながら御座所は残っていませんが、現在の浅間大社の造営に徳川家康が大きくかかわっています。

(楼門、拝殿・本殿)

家康は関ヶ原の戦いに勝利すると、その御礼に30近い社殿を造営、境内一円を整備しました。
現存する楼門・拝殿・本殿はそのときに家康が造営したもの。修復を重ねながらも、当時の姿をそのまま残しています。

家康が手掛けた建物かと思うと、歴史ファンとしては思いも格別…。
当の家康にとっても、織田同盟期に必死になって信長を接待した場所…思いは特別だったのかもしれません。

(湧玉池、信玄桜)

■富士見石

富士山本宮浅間大社の近くに、これまた信長「富士遊覧」のゆかりの史跡があります。
それが、信長が甲州からの凱旋の途上、当地で腰を掛けて富士山を眺めたと伝わる「富士見石」です。

(富士見石)

元々は浅間大社の境内の中にあり、左の道祖神の台石になっていたそうです。
現在は、富士宮市立中央図書館の入口付近に移されています。残念ながら、今の位置からは富士山は見えません…。

その代わり、元々あった浅間大社の境内からは富士山がよく見えました
当時は建物もなかったから、もっとよく見えたことでしょう。はたして信長は間近に見た富士山に何を思ったのでしょうか…。

(浅間大社から見る富士山①)

家康による信長接待「富士遊覧」。これに大いに満足した信長は、今度は家康を安土城に招待することにしました。
饗応役を命じられたのは明智光秀…。はたして家康、そして信長の運命は…。それはまた、このブログ「夢中図書館 いざ城ぶら!」で綴っていくこととしましょう。

(浅間大社から見た富士山②)

■基本情報

名称:富士山本宮浅間大社
住所:静岡県富士宮市宮町1−1
アクセス:JR「富士宮」駅から徒歩10分
営業時間:6:00~19:00

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