城ぶら「伏見城」!秀吉から家康へ時代の変遷を見つめた京の城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、京都の伏見にあった城跡、伏見城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

京の伏見の地にある伏見城
歴史の重要な舞台となった城ですが、実は少しずつ場所を変えて3つの伏見城がありました。

初代の伏見城は、1592年に豊臣秀吉の隠居後の屋敷として指月伏見の地に造られました(指月伏見城)
1594年には、秀吉の本城として本格的な改修が進められますが、その完成直後に慶長伏見地震(1596年)に見舞われます。この地震により、城は築城からわずか2年で倒壊しました。

(豊臣秀吉像)

秀吉は大地震後、すぐに城の再建にとりかかります。
場所はすぐ北側の木幡山。昼夜を徹した築城により、2代目の伏見城は1597年に完成しました(木幡山伏見城・豊臣期)
秀吉は晩年をここで過ごし、翌1598年に城内で没しました

秀吉の死後、徳川家康がここ伏見城に入りますが、ときは関ヶ原前夜。
家康が会津征伐に向かった留守を狙い、石田三成ら西軍が決起
1600年、鳥居元忠が城代となっている伏見城を4万の兵で攻城。伏見城は炎上、落城しました(伏見城の戦い)。

(徳川家康像)

3代目の伏見城は、関ヶ原の戦いで勝利した家康が再建(木幡山伏見城・徳川期)
家康はこの伏見城で、征夷大将軍の宣下を受けています
その後、大阪の陣が終わると西側への睨みとしての役割も終えたことから、1623年には廃城となりました。

後に伏見城の城址には桃の木が植えられ、桃林が生まれたことから「桃山」と呼ばれるようになります。
秀吉が統治した時代を桃山時代と呼ぶのは、この地に由来しています。

■城ぶらり

秀吉から家康へ、歴史の変遷を見つめ続けた伏見城。
その城跡をぶら歩きします。

この桃山の地に、昭和期につくられたのが「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地でした。
当時は人気のある遊園地だったようですが、次第に入場者が減少。2003年に閉園となりました。

(模擬大手門)

ただそのときに建築された模擬大手門や模擬天守はそのまま保存されています。
模擬大手門を抜けると、すぐ目の前に荘厳な天守が現れます。

(模擬天守)

左手が、3重4階の小天守。右手が、5重6階の大天守です。
模擬天守は耐震基準を満たしていないことから、残念ながら内部は非公開。
立ち入り禁止になっています。なんかもったいないですね…。

■伏見桃山陵

この模擬天守がある場所は、歴史上の伏見城のあった場所ではありません。
木幡山伏見城があった場所は、明治天皇の墓所「伏見桃山陵」となっています。

京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものと言われています。
墳墓は上円下方墳。約60メートル四方、高さは約6.3メートルあります。

なお、初代の指月伏見城があった場所は、場所を特定する史料が残っておらず「幻の城」とされてきましたが、2015年に伏見区桃山町泰長老のマンション建設予定地で、指月城のものと思われる石垣が出土しました。
奇しくもこの年は、豊臣家が滅亡した大阪夏の陣からちょうど400年目。因縁を感じますね…。

今後、指月伏見城の謎がどんどん解き明かされることを期待します。
木幡山伏見城のほうも、模擬天守とはいえ、あの立派な佇まいが放っておかれているのは勿体ない…。
京都はほんと、史跡が盛りだくさんですね。

ありがとう、伏見城! ありがとう、桃山!

■基本情報

名称:伏見桃山城
所在地:京都府京都市伏見区桃山町大蔵45
アクセス:JR桃山駅から徒歩約15分
営業時間:7時~17時
定休日:なし
入園料:無料

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