源頼家最期の地「修善寺」!悲運の将軍を祀る指月殿と頼家の墓

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館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。
いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、源頼家最期の地「修善寺」!悲運の将軍を祀る指月殿と頼家の墓です。

■若き将軍

齢18歳にして、2代目鎌倉殿の座に就いた源頼家(みなもとよりいえ)。
しかし就任わずか3か月後に、北条氏ら有力御家人13人による合議制が設けられ、鎌倉殿の権力は大きく抑えられました。

政治の実権を取り上げられた頼家は、政治への意欲を失い、毎日蹴鞠に興じるなど遊興にふけります
そして建仁3年(1203年)、頼家は急病で倒れ、一時的に危篤状態に陥ります。

焦眉となったのが、鎌倉殿の後継問題…。ここで、北条氏が実力行使に打って出ます。
頼家が意識を失っている間に、頼家の弟・実朝を推す北条氏が、頼家の子・一幡を擁する比企氏の棟梁・比企能員を謀殺。さらに、比企一族と一幡まで殺害しました。

その後奇跡的に意識を取り戻した頼家は、事件の概要を聞いて激怒。
周囲の御家人に北条時政の討伐を命じますが、その命に従う者はいませんでした。

それどころか、頼家は鎌倉殿の座を追われ、伊豆の修善寺に幽閉させられました。
そしてその翌年(1204年)、北条氏の手兵によって殺害されました。享年23歳(満21歳)。

■修善寺に残る鎌倉殿の跡

悲運の将軍、源頼家…。その最期を過ごした地が、伊豆修善寺です。
修善寺には、頼家ゆかりの史跡がいくつかあります。

その一つが、「指月殿」です。
修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って、母政子が修禅寺に寄進した経堂。伊豆最古の木造建築物といわれています。蓮の花を持った釈迦如来坐像が安置されていました。


指月殿の横には、「源頼家の墓」があります。
鎌倉殿という武家の頂点についてからわずか6年後、頼家はここで23年の短い生涯を閉じました。
この石碑は、頼家の500周忌にときの修善寺住職が建てた供養塔。その裏側に小さな五輪塔(墓)があります。

さらに、その近くには、源頼家の家臣13人を祀る「十三士の墓」があります。
吾妻鏡によると、頼家の暗殺から6日後に家臣13人は謀反を企てましたが、発覚して北条義時が派遣した金窪行親らに殺害されたとされます。

■源頼家の襲撃場所と源範頼の墓

そして、源頼家の暗殺現場とされるのが、「筥湯」(はこゆ)です。
頼家は入浴中に、北条氏の刺客に襲撃されました。刺客は、抵抗する頼家の首に紐を巻き付け、急所を押えてようやく頼家を刺し殺したといいます。

なんとも凄惨な暗殺ですね…。
頼家殺害を命じたのは北条時政か義時。あるいは時政の命を受けて義時が刺客を送ったとみられます。

伊豆修善寺には、頼家のほかにも悲運の源氏が眠っています。
それが、頼朝の弟源範頼です。頼家からすると叔父にあたる人物。彼も、一族の内部抗争から排斥され、伊豆修善寺に配流・幽閉されました。

修善寺の日枝神社境内に、範頼が幽閉されたとされる信功院跡(現在は庚申塔一基)があります。また、その西側の山腹には、範頼の墓とされる五輪塔がありました。

伊豆修善寺に残る、鎌倉殿と源氏の悲しい史跡…。ただ、鎌倉に立ち込める暗雲は消えません。
悲劇の将軍・源頼家の跡を継いで、3代目鎌倉殿の座に就いたのは、弟実朝。頼家よりさらに若い、12歳の将軍でした…。

■基本情報

【指月殿(源頼家の墓)】
所在地:静岡県伊豆市修善寺
アクセス:修善寺駅よりバス10分「修善寺温泉下車」下車徒歩5分

【筥湯】
所在地:静岡県伊豆市修善寺924-1
アクセス:修善寺駅よりバス10分「修善寺温泉下車」下車t於保3分
営業時間:12:00~21:00(受付~20:30)
定休日:無休

【源範頼の墓】
所在地:静岡県伊豆市修善寺924-1
アクセス:修善寺駅よりバス10分「修善寺温泉下車」下車徒歩12分

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