城ぶら「盛岡城」!圧巻の総石垣…南部氏が築いた東北の名城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、東北岩手の名城、盛岡城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

盛岡城は、三戸から不来方に居城の移転を決定した南部信直(盛岡藩初代藩主)によって、慶長3年(1598年)に着手。
完成したのは、3代藩主・重直の治世、寛永10年(1633年)であったと伝えられます。

南部氏は三戸城を本拠としていましたが、信直のときに豊臣秀吉に臣従すると、秀吉から岩手・紫波などを与えられ、領土を南に広げました
このとき、同じく秀吉麾下の蒲生氏郷や浅野長政のすすめにより、本拠を南の不来方に移すことを決意。後に、2代利直が地名を「盛り上がり栄える岡」と言う願いを込め、「不来方」から「盛岡」に改めたことから、出来上がった城は「盛岡城」と呼ばれることとなりました。

盛岡城は、3代重直が入城して以来、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
明治に入って、城内の建造物の大半が破却されましたが、石垣と水堀の一部は現存。現在、盛岡城跡公園(岩手公園)として一般開放されています。

■城ぶらり

それでは、東北岩手の名城、盛岡城跡をぶら歩きしましょう。

いざ城ぶら!…と歩みを進めたら、前方にどーんと巨大な岩が…。
これは「烏帽子岩」。2代利直が三の丸を整地した際に見つかった三角状の大岩で、縁起の良い烏帽子に似ていることから、「盛岡藩の守り岩」として歴代の藩主に崇め祀られました。
今も、櫻山神社の社宝として崇敬されています。

烏帽子岩にお参りを済ませたら、いよいよ盛岡城跡へ。
目の前に、ど迫力の石垣が迫ります。花崗岩を加工した見事な石垣、壮観です。
石垣を眺めながら、三の丸へ。ここからも烏帽子岩が見えました。石垣も烏帽子岩もでかい…。

歩みを進めて、二の丸へ。広い…。南部氏の威風が感じられます。
ここには、盛岡で産まれた傑人の文学碑がありました。
石川啄木歌碑「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」。
新渡戸稲造記念碑「願わくはわれ 太平洋の橋とならん」。

続いて本丸に向かいます。二の丸と本丸の間は堀切で隔たっています。
堀切に架かる朱塗りの橋は「渡雲橋」。渡った先の本丸には、天守の代わりに三重櫓が建っていたそうです。
いまは何も残っていないですが、それでも市街を一望できます。さすが、東北の名門・南部氏の城…。

さらに本丸の周辺には、往時をしのぶ遺構が残っています。
本丸を守る淡路丸跡隅櫓跡腰曲輪跡。いずれも、いざ合戦となったら兵が詰めて、敵方を撃退する役割を担うところ。戦国ロマンを感じます。

それにしても城の周囲をめぐる総石垣は圧巻です。
腰曲輪の石垣は高さ約12mもあります。そんな石垣を眺めながら、ぐるりと一周して帰路につきました。

さすがは、東北の名城、盛岡城。日本100名城にも選出されています。
圧巻の威風、迫力の総石垣。東北岩手の力強い魂を感じる城跡でした。

ありがとう、盛岡城! ありがとう、南部氏!

■基本情報

名称:盛岡城址
所在地:岩手県盛岡市内丸1-37
アクセス:盛岡駅からバスで10分

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