寺社ぶら「中尊寺」!奥州藤原氏の平和への願い積もる雪の光堂

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、岩手県平泉にある奥州藤原氏ゆかりの寺社「中尊寺」です。
雪の光堂へ…。「月見坂」を登って「中尊寺本堂」そして「金色堂」。松尾芭蕉の像と句碑もあります。平泉一帯は、2011年6月に世界遺産に登録されています。

■奥州平泉と藤原清衡

平安時代末期に栄華を誇った平泉
東北に半ば独立国を築いた奥州藤原氏が、この地に東北を統べる首都を築きました。

平泉はまた、文化の中心でもありました。
奥州藤原氏の歴代当主は、平泉の地に大規模な寺社仏閣の造営を進めました。

その先鞭をつけたのは、奥州藤原氏初代・清衡です。
清衡は、11世紀に東北で相次いだ戦乱(前九年の役・後三年の役)を憂い、また自身も骨肉相食む戦いに明け暮れた前半生を省みて、浄土仏教の思想に傾倒します。

戦乱の犠牲者たちが敵味方の区分なく浄土に往生できるようにと、清衡が建設したのが「中尊寺」です。
開創は嘉祥3年(850)ですが、この清衡による大規模な増築が実質的な創建と考えられます。

■寺社ぶらり

それでは、奥州平泉に築かれた極楽浄土と平和を願う堂塔、「中尊寺」を参拝しましょう。

JR平泉駅から、歩いて中尊寺参道入口へ。
中尊寺は山号を関山といい、本堂と17院により構成される天台宗の一山寺院です。

山寺なので、本堂や周辺寺院に向かう表参道は「月見坂」と呼ばれる坂道となっています。
これが、想像以上に危険な道でした…。というのも、訪れたのは寒い冬の日。月見坂は、雪と氷に覆われていました。

雪はともかく、氷が厄介…。アイスバーンの坂道って恐怖でしょ?
参道入口に、滑り止めの「縄」があるので、これを靴に括り付けて行きましょう。それでもツルツルでした…。

なんとか月見坂を登り切って辿り着いたのが、中尊寺本堂です。
本堂は一山寺院の中心となる建物で、今の建物は明治42年(1909)に再建されたもの。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で行われています。

本堂から歩いてほど近く、中尊寺の誇る黄金の遺跡があります。
それが「金色堂」(こんじきどう)。中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124年)藤原清衡が建立しました。

残念ながら堂内は撮影不可。ただ、これは一度は見てほしい…。
堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂。堂内の装飾も螺鈿細工に象牙や宝石、他に例のない仏像構成…。その姿は圧巻です。
金色堂の須弥壇内には、初代清衡、2代基衡、3代秀衡の遺体と、4代泰衡の首級が今も安置されています。

その近くには、鎌倉時代末期の建築とされる「経蔵」や、室町時代中頃の建築とされる「旧覆堂」など、歴史ある建物が並んでいます。
特に「旧覆堂」は、現在の覆堂が建築される前まで約500年間、金色堂を風雨から守ってきたお堂。伊達政宗や明治天皇といった偉人たちはこのお堂内で金色堂を参拝したんですね…。

その一人、松尾芭蕉の像と句碑が近くに建っています。
芭蕉は金色堂を参拝して、「五月雨の降り残してや光堂」という句を詠みました。

他にも、数多くの寺社が建ち並んでいます。
弁慶堂、不動堂、峯薬師堂、大日堂、弁財天堂など。いずれも静謐にして荘重、ときを超えて極楽浄土の思想が伝わってくるように思いました。

奥州藤原氏が込めた非戦や平和の願いを今に伝える中尊寺
その壮麗な姿は圧巻です。私たちは、その思いを未来に受け継いでいきたいですね。

ありがとう、中尊寺! ありがとう、平泉!

■基本情報

名称:中尊寺
所在地:岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202
アクセス:JR平泉駅から参道入口まで徒歩20分
拝観時間:(3/1~11/3)8:30~17:00、(11/4~2/28)8:30~16:30

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