城ぶら「衣笠城」!鎌倉殿の帰趨を握った三浦一族ここにあり!

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、鎌倉殿の帰趨を握った三浦一族の本拠、「衣笠城」です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

衣笠城は、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島を支配していた三浦氏が本拠としていた城です。
前九年の役で功を挙げた三浦氏初代・為通が、源頼義から相模国三浦に領地を与えられ、康平5年(1062)、衣笠山麓に居館を築いたのがはじまりと言われます。

治承4年(1180)、源頼朝が伊豆で挙兵すると、これに合流すべく三浦氏は衣笠城を出撃します。
しかし、折からの豪雨で酒匂川を渡れずにいるうちに、頼朝は石橋山の合戦に敗れ、房総半島に逃げ落ちました。

三浦氏はやむなく引き返しますが、その途上で平家方の畠山重忠軍と遭遇。合戦となります。
やがて、数に勝る畠山軍が、三浦氏の籠る衣笠城を取り囲みます(衣笠城合戦)。

三浦氏4代・義明は敗戦を覚悟し、息子の5代・義澄や孫の和田義盛らに脱出を命じます。
義明は、源氏再興を息子らに託して、独り城を守り奮戦、壮絶な最期を遂げました。享年89才。

その後鎌倉幕府が成立すると、三浦氏は失地挽回、衣笠城を再び居城にして当地を支配します。
しかし宝治元年(1247)、三浦氏7代・泰村のときに北条氏との勢力争い(宝治合戦)に敗れ、没落。衣笠城は廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、三浦一族の興亡のあと、衣笠跡をぶら歩きしましょう。

衣笠城は、北の国道27号線から入る山道ルートと、南の国道26号線沿いの追手口から入るルートがあります。
この日は、JR衣笠駅から歩いて攻城。北の山道ルートを選択しました。

まずは、衣笠山の北に広がる「衣笠山公園」の中に足を踏み入れます。
この公園エリアも城の範囲であったと考えられています。園内にハイキングルートが整備されていますが、歩いてみると、これがハードな道のりでした…。

山道、けもの道…。そもそも、衣笠城は城と言っても、天守や石垣を築いた築いたはわけでもなく、自然の地形を生かした天然の要害
いわゆる「山城」。展望台の絶景にひと息つけたのも束の間、土の道のアップダウンにへとへと。北ルートを選んだことに後悔しながら歩みを進めます…。

ようやく公園を抜けると、国道27号線。これが谷となって、目の前に再びこんもりと盛り上がった丘陵が立ちはだかります。
こちらが「衣笠城址」。えっ?ということは、また登るの?

そうです。再び山道、けもの道。途中、岩道もあって、今回の城ぶらは、剣路歩きの様相に…
これは、まさに天然の要害。どこまで手を加えたのか分かりませんが、自然の土塁や堀切が、鉄壁の防御を築いています。

ようやく山を下りると、そこに曹洞宗の寺院「大善寺」がありました。大善寺は、三浦一族の学問所の役割を果たしたと言われます。
その裏山が、城の最後の拠点となる詰めの城であったと伝えられる場所です。裏山の入口に、「衣笠城址」の石碑もありました。

裏山に通じる石段を登ると、そこに開けた高台がありました。ここに三浦義明も詰めて戦ったのでしょう…。
その義明を讃える「三浦大介義明公八百年記念碑」が建っていました。

高台を奥に進むと、義明が衣笠城合戦のときに指揮したと言われる「物見岩」があります。
ほんと、ここで激戦があったんだな…。「鎌倉殿の13人」の世界に思いを馳せます。こちらにも、「衣笠城址」の石碑が建っていました。

大善寺の近くには、不動井戸の跡。衣笠城の生活用水を担ったものと見られます。
さらに坂道を下っていくと、大手口(追手口)の遺碑もありました。こちらが正門。山道が苦手な人は、こちら側から入って、大善寺付近を城ぶらするのがいいでしょう。

■三浦一族ゆかりの場所へ

三浦一族は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する源氏・北条氏ゆかりの一族。
衣笠城の近くには、源氏再興に粉骨砕身した三浦一族ゆかりの遺構が残っています。

衣笠城合戦で壮絶な最期を遂げた三浦氏4代・義明。その菩提寺が「満昌寺」です。
源氏再興に命をかけた義明を弔うために源頼朝が建立したと伝えらえれます。境内には、頼朝が手植えしたとされるツツジなんてのもありました。

奥手に進むと、三浦義明坐像が安置されている宝物殿(かつての御霊社)があります。
その背面にあるのが、三浦義明の廟所です。義明は衣笠の地で89歳で戦死。その死は、その後の三浦一族の繁栄の礎となりました。

さらに「鎌倉殿」気分が高まるのが「薬王寺旧跡」です。
こちらは、「鎌倉殿の13人」と呼ばれる13人合議制の一人、三浦氏5代・義澄の墓所。薬王寺は明治初期に廃寺となりましたが、義澄の五輪塔だけが残されています。この義澄、大河ドラマでは佐藤B作さんが演じています。

まだあります。その義澄の息子、三浦氏6代・義村を祀るのが「近殿神社」(ちかたじんじゃ)。
この義村も、鎌倉殿の運命を大きく左右した重要人物。一族の和田氏と北条氏が争った和田合戦や鎌倉殿3代・実朝暗殺において、帰趨を決する動きをしました。大河ドラマでは山本耕史さんが演じています。


今日の城ぶらは、源氏を支えた三浦氏の本拠・衣笠城と、三浦一族ゆかりの寺社を訪問しました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも物語の鍵を握るであろう三浦氏。その一族の興亡だけでも、大河ドラマになりそうな濃い歴史がありました…。

ありがとう、衣笠城! ありがとう、三浦一族!

■基本情報

【衣笠城】
名称:衣笠城址
所在地:神奈川県横須賀市衣笠町29-1162
アクセス:JR衣笠駅から徒歩40分、または JR衣笠駅/京急横須賀中央駅からバス「衣笠城址」下車徒歩15分

【満昌寺】
名称:満昌寺
所在地:神奈川県横須賀市大矢部1-5-10
アクセス:JR衣笠駅/京急横須賀中央駅からバス「衣笠城址」下車徒歩5分


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