城ぶら「志波城」!築城は1200年前…いにしえの風に逢う古代城柵

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、いにしえの風ただよう、平安初期の古代城柵の跡、志波城(しわじょう)です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

志波城(しわじょう)は、平安時代の初期に造営された古代城柵(じょうさく)です。
奈良~平安時代、北東北に住む人々は蝦夷と呼ばれ、天皇を中心とした政府の統治外にいました。政府は勢力を拡大し、東北北部をも統治下におさめるために、「城柵」(行政と軍事の拠点の役所)を造営しました。

その城柵の一つ「志波城」は、桓武天皇の名を受けた坂上田村麻呂によって造営されました。
築城年は、1200年以上も前、延暦22年(803年)と記録されています。

古代陸奥国に造られた十数か所の城柵のうち、最も北に位置し最大級の規模をほこる城柵です。
現在、この古代城柵「志波城」は復元整備され、志波城古代公園として一般に開放されています。

■城ぶらり

それでは、いにしえの風に逢う古代城柵、志波城をぶらり歩いてみましょう

訪れてみて、一見して分かること。どでかい…
「城柵」の名に相応しい、土を突き固めた土塀(築地塀)が左右に長く伸びています。

志波城の外郭は、1辺840m・高さ4.5mの築地塀で正方形に囲まれていました。
さらにその外側に濠が張り巡らされていて、そちらは1辺928m。その広さは、サッカー場が100面入るほど…。

築地塀の中央には門があります。そして60m間隔で櫓が置かれています。
古代ロマンあるなぁ…。近くで見ると圧巻です。この門や櫓から、敵が来ないか見張ってたんだろうなぁ。
そんでもって敵が来たら、弓矢や投石で攻撃。古代の鉄壁の砦ですね。

外郭南門から城内に入ると、外郭沿いに「竪穴建物」が3棟復元されています。
こちらは兵舎や工房として使われていたもので、1,200~2,000棟ほど配置されていたと考えられています。すごい規模ですね…。

それにしても広い…。広大な敷地です。
左に行くと外郭西門、右に行くと外郭東門、正面に見えるのが政庁南門です。

城内の中央やや南寄りにある「政庁」に向かってまっすぐ歩みを進めます。
政庁では、行政や北東北の人々をもてなす饗給(きょうごう)と呼ばれる儀式が行われました。
こちらも四方を、1辺150m・高さ3.5mの築地塀で囲んでいます。二重の防備になっていたんですね。

政庁南門をくぐって中に入ると、政庁の遺構があります。
写真左から、政庁建物跡正殿跡東脇殿跡。どんな建物が立っていたんだろう…。想像がふくらみますね。

政庁の四方に門が設けられていたと考えられ、南門と東西門が復元されています。
写真左から政庁西門北門東門です。

さらに、政庁の南東には、「官衙建物」(かんがたてもの)が復元されています。
こちらは行政実務を行った場所。いまの役所ですかね…。北東北の人たちも、急に中央の行政の仕組みが導入されて戸惑ったんだろうな…。

いやぁ、志波城すごいな…。これが1200年前の城のカタチ。
ニッポン国が形成されていく途上につくられた城柵。古代ロマンたっぷりの、どでかい城跡でした。

この圧巻の復元城柵を堪能できる「志波城古代公園」の入口には、ガイダンス施設(志波城古代公園案内所)があります。
志波城や古代東北の歴史を分かりやすく紹介する施設です。出土品やパネルなども展示しているので、入館前あるいは後にお立ち寄りされることをおすすめします。

ありがとう、志波城! ありがとう、志波城古代公園!

■基本情報

名称:志波城古代公園
所在地:岩手県盛岡市上鹿妻五兵衛新田48-1
アクセス:JR盛岡駅からバスで25分、東北自動車道盛岡ICから車で15分
営業時間:9:00~17:00
料金:入場無料
休園日:12月29日~1月3日(年末年始)

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