城ぶら「下田城」!豊臣1万対北条600、海の攻防戦跡を巡る

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、伊豆下田の城郭、下田城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

小田原城が築城されたのは、豊臣秀吉と北条氏の対立が表面化してきた1589年。
北条氏直が秀吉の侵攻に備えて築かせました。

その翌年(1590年)に、「小田原征伐」と呼ばれる秀吉による大規模な北条攻めが開始されます。
下田城にも、長曾我部元親や加藤嘉明らが率いる1万人を超える大船団が押し寄せます。

一方の下田城は、城主・清水康秀ら600の兵で応戦
50日ほど籠城抗戦しましたが、奮闘むなしく落城。城を明け渡して降伏しました。

なお、北条氏滅亡の後は、徳川家康の家臣・戸田忠次が城主になりますが、子の代になって転封。下田城は廃城となりました。

■城ぶらり

その下田城址は、いま下田公園となっています。
下田と言えば、日本の最初の開港地。公園内には「開国記念碑」がありました。

その記念碑を過ぎて、坂道を登っていくと、「鵜島城址」の石碑が。
下田城は別名、鵜島城と呼ばれています。

城は、海と断崖に囲まれた天然の要害に築かれています。
通称天守台跡と呼ばれる高台を中心に、要所に曲輪や櫓台が築かれ、総延長700mを超える空堀が巡る伊豆半島最大規模の山城です。


(空堀跡)

石碑の脇の海岸を登った小高い丘が、天守台跡です。
当時の様子をうかがい知ることはできませんが、海の防衛拠点として、四方を監視していたものと推察されます。


(天守台跡)

1万の豊臣水軍が海に船を並べる姿は、威圧感があったでしょうね…。

■周辺ぶらり

この下田公園からほど近いところに、ペリー艦隊来航記念碑がありました。
ペリーは日米和親条約を勝ち取ると、開港された下田に7隻の艦隊で訪れました。

そのペリー艦隊に小舟で漕ぎつけて渡米を要請した吉田松陰のゆかりの碑もあります。
吉田松陰拘禁の跡。ペリーに拒絶された松陰が自首した場所して拘禁された長命寺(廃寺)跡です。

1万の豊臣水軍も、ペリーの7隻の艦隊も、ここにやって来て時代を変えました。
下田って、戦国や幕末といった時代の転換期に重要な役割を果たしてきた場所なんですね。

ありがとう、下田城!

■基本情報

名称:下田公園(下田城址)
所在地:静岡県下田市3丁目

アクセス:伊豆急下田駅から徒歩で15分
料金:無料

ブログランキングに参加しています

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事