城ぶら「米沢城」!上杉謙信、伊達政宗、上杉鷹山ゆかりの城跡

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、戦国武将好きなら絶対訪れたい山形米沢の城、米沢城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

上杉謙信、伊達政宗など戦国武将ゆかりの米沢城
その築城は鎌倉時代。幕府の重臣である大江広元の次男・長井時広が1238年に城を築いたのが始まりとされています。

室町時代に入ると、当地に勢力を伸ばしてきた伊達宗遠が長井氏を追放。以降、200年ほど、米沢城は伊達家の支配となりました。
この米沢城で生まれたのが、伊達政宗です。
政宗は、米沢城などを拠点として東北で領地を拡げていきますが、当時の覇者・秀吉に睨まれ、岩出山城に移封されました(1591年)。

その後、米沢城は蒲生氏郷の支配となりますが、わずかの間。
この後に米沢の地に入ったのは、名門・上杉家。江戸末期まで当地を治めました。
ただ、その統治は順風満帆なものではありませんでした…。

豊臣秀吉の命により、東国支配の要衝・会津に120万石で入封したのが、上杉謙信の後を継いだ上杉景勝です(1597年)。
米沢城は、重臣・直江兼続が城主となりました。

しかし、1600年の関ヶ原の戦いに敗れると、上杉家は米沢30万石に減封。大幅減封によって財政がひっ迫します。
上杉家存続の危機を救ったのが、9代藩主・上杉治憲(鷹山)です。鷹山は、家臣の意識改革や産業振興施策、新田開発など様々な改革を断行し、米沢藩の財政再建を実現。
これにより、上杉家は幕末まで米沢の地を治めることができました。

■城ぶらり

そんな、伊達、上杉ゆかりの米沢城をぶら歩きします。

米沢城のあった場所は現在、市民の憩う松が岬公園(まつがさきこうえん)となっています。
お濠をわたると、そこに上杉家の礎を築いた、上杉謙信の像があります。

「軍神」あるいは「越後の龍」などと称された名将。
その遺骸は、上杉景勝の会津・米沢移封と合わせて移され、御堂を建て安置されました。
なお、明治期に入って御堂は解体・移築。謙信の遺骸は、上杉家廟所に移されています。ここには「上杉謙信祠堂(御堂)跡」が残されています。

この謙信の後を継いだのが上杉景勝。
その景勝の腹心として生涯仕えたのが、直江兼続です。「愛」の兜で有名ですね。
その2人の主従像が、謙信像の近くにありました。

これだけでも、戦国武将ファンには胸アツなのですが、さらにこの人ゆかりの史跡もありました。
戦国の風雲児、独眼竜・伊達政宗。彼が生誕し幼少期を過ごしたのが米沢城。「伊達政宗公生誕の地」の碑もありました。

さらに奥に進むと、米沢城の本丸跡に建つのが上杉神社です。
上杉謙信を祀る神社で、明治期に建立されたものです。

創建時に、上杉謙信とともに合祀されたのが、中興の祖・上杉鷹山です。
上杉家と米沢を再興させた名君。米ケネディ大統領も「日本で最も尊敬する政治家」として鷹山の名を挙げました。
もちろん米沢でも、当時から篤く敬われていたのですね。

彼が家臣に向けて詠んだ言葉はとても有名です。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
いつの時代にも通じる名言ですね。

なお、上杉神社は、明治35年(1902年)に上杉鷹山を分祀。
彼を祀る「松岬神社」(まつがさきじんじゃ)が建立されています。

ありがとう、米沢城!

■基本情報

名称:米沢城址
所在地:山形県米沢市丸の内1
アクセス:JR米沢駅からバスで10分

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