城ぶら「坂戸城」!上杉景勝・直江兼続ゆかり標高634mの山城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、上杉景勝・直江兼続ゆかりの城、「坂戸城」(さかどじょう)です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

標高634mの坂戸山を要塞化した大規模な山城、坂戸城
その築城は、鎌倉時代とも南北朝時代とも言われています。

南北朝動乱期に、北朝についた上杉憲顕が越後の守護に任じられると、その家臣・長尾高景の一族の者が越後上田荘を領し、上田長尾氏を称して、坂戸城を居城にしたと伝承されます。
上田長尾氏は、交通の要所にして魚沼の穀倉地帯を擁する当地を支配して、守護代の長尾氏(府中長尾氏)とならんで、越後国に枢要な地位を占めることになりました。

しかし室町末期、守護代の長尾為景が守護の上杉氏を排斥して越後一国に覇を唱えると、上田長尾氏との関係が悪化しはじめます。
やがて、為景の跡を継いだ長尾景虎(上杉謙信)が、上田長尾氏の当主・政景のこもる坂戸城に攻め入ります。この戦いにより、政景(上田長尾氏)は謙信(府中長尾氏)の軍門に降りました。

この後、政景の子は謙信の養子となり、後に上杉家の家督を継ぐことになります。上杉景勝です。
ちなみに、上杉景勝の名参謀・直江兼続も越後上田庄の生まれ。景勝に若い頃から近侍し、生涯仕え続けました。

景勝は春日山城に移りますが、坂戸城はその有力な支城として重要拠点であり続けました。
信長麾下の滝川一益に攻められたときも、要害の坂戸城はそれを跳ね返しています。

越後の堅城・坂戸城。1598年、上杉景勝が会津に転封になった後は、替わって越後国主となった堀秀治の家臣・堀直寄が入城します。
1609年、その堀直寄が信濃国飯山に移されたのち、坂戸城は廃却されました。

■城ぶらり

それでは、そんな上杉景勝・直江兼続ゆかりの山城・坂戸城に向かいます。

六日町駅を降りると、そこから坂戸城を眺めることができます。
駅から眺める坂戸山。そうなんです。山全体が城…。坂戸山イコール坂戸城なのです。

山全体が城ってロマンありますよね。その名残りが其処彼処に残っています。
坂戸山の麓、そこには「内堀跡」が残っています。敵が攻めてきたら、まずはここで防衛したのでしょうね。

それでは坂戸山登山へ。城坂コースに向かいます。
しばらく歩くと、遺構の一つ「家臣屋敷跡」があります。いまは建物のかけらもありませんが、往時はここで家臣たちが暮らしていたんですね…。

さらに歩いていくと、分かれ道があります。右の道を進むと、険しい山道でした…。
急な坂道もあり、滑りやすいところもあり、這う這うの体でたどり着いたのが「御居間屋敷跡」(おんまやしきあと)。こんなところに屋敷をつくったのは、やはり有事対応なんでしょうね。隠れ家のような場所でした。

御居間屋敷跡から、ふたたび険しい山道へ。下りもキツいです…。
分岐点を左に進むと、そこに城っぽい遺構がありました。「石垣」です。天然の要害だけでなく、こうして石垣も築いて守りを固めていたんですね。

そんな石垣で守っていたのは、その先に、領主の住居があったから。
こちらも遺構が残っています。「御館(おたて)跡」です。

石垣の前には、「坂戸城」の碑があります。さらに、上杉景勝、直江兼続の生誕碑も。
2人とも若かりし頃は、こんな山城で過ごしたんだなぁ…。なんか胸アツです。
上杉景勝は、謙信の養子として春日山城に出た後も、上田長尾氏の家臣団を重用し領内統治にあたりました。兼続をはじめ、苦しいときを一緒に過ごした者たちを信頼していたんでしょうね。

ただ、この山城の本丸である山頂部はまだまだ遠い。
ここに来るまででヘロヘロ。たしか、山頂までは80分と書いてたっけ…。これは難儀な城だ…。

がんばって登り続けます。案内図に「一本杉」と書かれた杉の木は、コンクリートで補強されていました。
それでも威容を保っているのは、上杉武士の誇りを受け継いでいるのでしょうか。

この辺りで山の中腹くらい…。そこから南魚沼の町がよく見渡せます
敵が攻めてくるのも、よく見えたんだろうな…。

その先に続く「城坂」。険しい山道が続きます。
さすがに、ソールがすり減ったスニーカーではここが限界。さらなる登坂を断念して、やむなく引き返すこととしました…。

なお、この城坂を登って山頂、標高634mのところに本丸となる「実城」(みじょう)があります。
さらに郭となる小城・大城があります。これは、いつかリベンジしたい!
それにしても侍たちは、登山靴もスニーカーもなくてどうやって登ってたんだろう…。草履?すごいな。。。

■もうちょっと城ぶら

山城・坂戸城だけでなく、近辺にも戦国ゆかりの見どころがあります。
駅近くの南魚沼市役所の入口に、上杉景勝と直江兼続のレリーフがあります。大河ドラマ「天地人」を思い出しました。

駅から坂戸城に向かう途中、魚野川のたもとにある「お六と桂姫」の銅像があります。お六とは、直江兼続の幼名。桂姫は、上杉景勝の妹です。この2人の淡い恋物語をつづった「お六甚句」にちなんだものです。
さらに、この魚野川にかかる六日町大橋には、直江兼続の「愛」の兜が刻まれていました。

さらに、山の麓には上杉景勝の実父・長尾政景の墓所があります。
政景は、謙信の軍門に降った後、謎の溺死を遂げます。舟遊びで泥酔した説や、謙信による謀殺説などがありますが、真相は分かっていません。

上杉景勝・直江兼続ゆかりの城・坂戸城
標高634mの山城に、数多くのドラマが刻まれていました。次は登山靴を履いて山頂を目指そう。

ありがとう、坂戸城! ありがとう、上杉景勝&直江兼続!

■基本情報

名称:坂戸城跡
所在地:新潟県南魚沼市坂戸
アクセス:JR上越線「六日町」駅から徒歩で20分、関越自動車道「六日町」から車で15分

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