こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、三浦一族の水軍拠点「三崎城」!北条早雲に徹底抗戦するもついに陥落…です。
■城語り
三浦対北条…。合戦史に残る、3年に及ぶ籠城戦「新井城の戦い」。
頑強に抵抗を続けてきた三浦義同(道寸)・義意父子ですが、ついに北条早雲の前に力果てました。三浦父子は家臣ともども討死、ここに三浦氏は滅亡しました。
それにしても、3年にわたる籠城って…。守るほうもしぶといけど、攻めるほうもしつこい…。
これぞ、鎌倉期の北条義時と三浦義村の魂を受け継ぐ「執念」の戦い。早雲も道寸も血の繋がりはないのですが…。
この新井城の約2kmほど南に、同じく三浦氏の居城「三崎城」がありました。
築城の年月は不詳ですが、鎌倉期に活躍した三浦義村ら三浦一族の水軍拠点であったと考えられています。
近年の研究では、三崎城と新井城は単一の城を構成していたと考えられています。
早雲に攻められたとき、三崎城も屈強に抗戦しました。しかし、3年の籠城戦の後、新井城とともに三崎城も落城…。新井城から逃れここで最期をむかえた三浦の兵もあったようです。
■城ぶらり
それでは、三崎半島にある海の要衝「三崎城」をぶら歩きしましょう。
三崎城があったところは現在、三浦市役所のある辺り一帯です。
大手口とされる坂道を上った、旧三崎中学校があった場所に「三崎城跡」と刻まれた石碑が建っています。
その近くに「本丸」がありました。今は未開発のまま、一部が駐車場として利用されています。
縄張図によると、その東側に「搦手」がありました。
こちらは堀切や土塁の名残りが残っています。切り立つ岩山は出丸として敵の侵入を防いでいたのでしょうね。
西側には、三浦氏の菩提寺・本瑞寺。源頼朝が建てた三崎三御所の一つ「桜の御所」のあったところです。
その隣には、三浦一族の勇将・和田義盛が創建した光念寺もありました。この辺りは、「鎌倉殿の13人」ファンとしては胸アツです…。
(左:本瑞寺、右:光念寺)
この三崎城の南側はすぐ海になっています。そのためこの地は、江戸湾対岸の安房・里見氏から幾度も攻められました。
三浦氏を滅ぼした北条早雲は城を大規模に改修、里見氏への備えとしました。そうした北条氏の統治を偲ぶように、一帯には「北条」の地名が残っています。
向かいの城ヶ島は、新井城の戦いのときに、三浦方の城兵が逃れて北条氏と抗戦した場所。
そんな戦乱の世が嘘のように、いまは観光客や釣り人に人気のスポットになっています。こんな平和な毎日がずっと続きますように…。
なお、早雲以来5代続いた後北条氏ですが、1590年豊臣秀吉による小田原征伐により滅亡。
北条氏の滅亡とともに、新井城と三崎城も廃城となりました。
■基本情報
名称:三崎城
所在地:神奈川県三浦市城山町6−1
アクセス:京急「三崎口」駅からバス「三崎東岡」下車、徒歩5分
時間:24時間