家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方です。

■家康を辿る物語~長篠城攻防戦

元亀4年(1573年)、武田信玄死す
武田方はその死を秘匿しましたが、徳川家康はその情報を把握し反撃に転じます。

徳川・武田の境にある奥三河の国衆を味方に引き入れ、奥三河の要衝・長篠城を攻撃
同城を開城させると、再び徳川方に組み入れることに成功します。

一方、信玄の跡を継いだ武田勝頼も手をこまねいていませんでした。
天正3年(1575年)、1万5000の兵を率いて奥三河に侵攻。大軍で長篠城を包囲します。

このとき、長篠城は奥三河の国衆である奥平信昌が500ほどの兵とともに籠城していました。
奥平軍は寡兵ながらも、谷川に囲まれた地形や城兵の決死の守備もあって、武田軍の猛攻に何とか持ちこたえます。

しかし兵糧も尽き、落城間近となったそのとき、ついに待望の援軍がやって来ます。
信長軍30,000と家康軍8,000が長篠城手前の設楽原に着陣。いよいよ、戦国史に残る「長篠設楽原の戦い」の火ぶたが切られることになるのです。

■長篠城

家康を辿る城旅…。今日は、日本100名城にも選ばれている長篠城を訪れましょう。

(長篠城址碑)

長篠城は、別名を扇城または末広城といいます。
それは、宇連川と豊川が合流する断崖に立地し、城が扇のような形をしているからです。

(長篠城遠景)

天然の要害ですね…。家康は、武田方から同城を奪還した後、その反撃に備えてさらに整備を進めて防御力を高めたとされます。
現在に残る本丸の大規模な土塁や堀などはこの時のものと考えられています。当時は堀に水を引き入れていたようです。

(土塁、堀)

城址の一角には「長篠城址史跡保存館」が建ち、長篠城攻防戦に関わる歴史資料が収蔵展示されています。
なかには、この戦いの際に奥平信昌が使用されたと伝わる「血染の陣太鼓」も…。籠城戦の激しさをうかがい知ることができます。

(長篠城址史跡保存館)

そんな激戦の舞台となった長篠城本丸へ…。いまは建物などの遺構もなく、草地が広がるのみ。
思いのほかこじんまりとした城址ですが、ここにこもった500の兵が、1万5000の武田軍の攻撃を耐えきりました。

(本丸跡)

本丸跡の一角に、この長篠城の命運を握った男のゆかりの場所がありました。
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)。この本丸から川を挟んだ向こう岸で磔にされました。

(本丸跡にある鳥居強右衛門関連地)

そんな隠れたヒーローの活躍については、次回のブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」で語ることにしましょう。

■基本情報

名称:長篠城址
住所:愛知県新城市長篠市場22ー1
アクセス:JR「長篠城」駅から徒歩10分

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