城ぶら「駿府城」!天下人・徳川家康が築いた天下の名城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、徳川家康ゆかりの名城「駿府城」。日本100名城の一つです。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

日本100名城に数えられる駿府城。その歴史は、徳川家康の存在と切っても切り離せません。
もともと駿府の地には、14世紀に室町幕府から駿河守護に任じられた今川氏が拠点(今川館)を築いていました。

その今川氏が全盛となった9代義元の時代、家康(幼名:竹千代)は人質として駿府に送られました。
家康はここで、8歳から19歳までの約12年間、人質として生活しています。

今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、武田信玄が駿河に侵攻。
その武田氏も織田・徳川勢力により滅亡すると、駿河の武田領は徳川家康の支配下となりました。

家康は、天正13年(1585年)から駿府城の築城を開始。天正17年(1589年)には天守を含む二ノ丸までの駿府城を完成させます。
しかしその翌年(1590年)、豊臣秀吉の命により家康は関東に移封。駿府城には、豊臣方の中村一氏が入城しました。

この後、天下平定を成し遂げ江戸幕府を開いた家康は、征夷大将軍を息子・秀忠に譲り、江戸城から退きます。
大御所となった家康が、居城と定めたのが駿府城でした。天正期の駿府城を天下普請により大修築、慶長15年(1610)年には最大規模の天守(慶長天守)を落成しています。

家康は晩年、ここ駿府で「大御所政治」を行い天下の実権を掌握。元和2年(1616年)、駿府城で逝去しました(75歳)。
駿府城は、幕府の直轄地として明治維新まで続きました。維新後は、城内の建物は破却、跡地は静岡市に払い下げられて公園となり、現在に至っています。

■城ぶらり~その1~

それでは、徳川家康ゆかりの名城、駿府城をぶら歩きしましょう。

現在、駿府城跡地は、二ノ丸・本丸が「駿府城公園」として一般に開放されています。
東西南北それぞれに門がありますが、最も荘厳な「東御門」から入城しましょう。

「東御門」(ひがしごもん)は、駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入口でした。
ニノ丸堀に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、多門櫓で構成される桝形門。平成8年に復元されました。

その東御門につながる隅櫓が「巽櫓」(たつみやぐら)です。
二の丸の南東(巽)に設けられた三層二重の櫓。全国でも例の少ないL字型の平面を持つ、防衛機能に優れた櫓です。こちらは平成元年に復元されました。

東御門と隅櫓は内部を見学可能。駿府城の歩みが年代順に、貴重な展示物と共に紹介されています。中には、二ノ丸堀から出土した青銅シャチなんてのも…。
さらに見どころは、家康の人質時代の勉強部屋「竹千代手習いの間」(原寸復元)。広さは四畳半…。家康はここで今川家軍師の雪斎和尚から学問を学んだと伝えられています。

続いて、二ノ丸南西にある隅櫓、「坤櫓」(ひつじさるやぐら)
坤櫓の外見は、屋根が二重ですが、内部は三階構造となっています。上階は床板と天井板を取り外しているので、櫓の構造を見通すことができます。平成26年に復元されました。

そんな荘厳な隅櫓に守られた城郭の中心に、家康が公私のときを過ごした「本丸」がありました。
今は花と緑に覆われた市民の憩いの場。そこに、徳川家康像が建っています。大御所時代でしょうか、貫禄十分です。

■城ぶらり~その2~

現在、城内(公園内)で、天守台の発掘調査が進められています。
駿府城の天守は3度建てられています。天正期に1回、慶長期に2回。慶長期の天守は、慶長12年(1607年)に築城間もなく焼失、すぐさま再建され慶長15年(1610年)に落成しました。

この天守は、五重(または六重)七階の壮麗な天守だったと伝えられます。
しかし、その天守も寛永12年(1635年)の出火により焼失。以後、天守は再建されませんでした。

天守台(天守を築く土台)は江戸期を通じて残っていましたが、明治29年(1896年)に取り壊されました。
今般、駿府城の歴史をひもとく大規模な発掘調査が進んでいます。これがなんと、その現場を見学できるのです。これは城ファンにはたまらない…。

何よりも、その広さに圧倒されます。
天守台の規模は、西辺約68メートル×北辺約61メートル…。江戸城の天守台(約45メートル×約41メートル)を大きくしのぎます。さすがは大御所家康。引退してもなお日本一の権力を持っていたことがうかがえます。

大きさだけでなく、歴史浪漫ひろがる貴重な発掘物も…。
豊臣秀吉が中村一氏に築かせたとされる天守台の石垣や金箔瓦などが発見されたのです。
秀吉の天守ってのもあったのかしら?戦国末期、ここ駿府城を舞台に、家康と秀吉の見えない戦いが繰り広げられていたのかもしれません…。

徳川家康が築いた天下の名城、駿府城
その威容、その美麗、その歴史の奥深さ、いずれも天下人にふさわしい名城でした。

ありがとう、駿府城! ありがとう、徳川家康!

■基本情報

名称:駿府城址
所在地:静岡県静岡市葵区駿府公園
アクセス:JR静岡駅から徒歩10分

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