こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、鎌倉の史跡をぶら歩き。
源頼朝の墓や鎌倉宮などの史跡をめぐります。
■源頼朝の墓
鎌倉幕府を築いた英雄、源頼朝。
その墓所はやはり、鎌倉の地にありました。
法華堂跡と呼ばれる史跡がそれです。もともとは、源頼朝が建立した持仏堂があった場所です。
頼朝が亡くなるとここに葬られ、法華堂と呼ばれるようになったと言われています。
法華堂は、頼朝の腹心であった2代執権・北条義時もともに祀り、幕府創設者の墳墓堂として、のちの時代の武士たちからもあつい信仰を集めました。
その後、明治時代に入って神仏分離から寺は廃されますが、新たに白旗神社が建てられました。
もちろん、祭神は源頼朝です。
白旗神社でお参りしてから、さらにその奥へ。
源頼朝の墓に続く長い石段を登ります。
石段を登ると、頼朝の墓と伝えられる墓塔があります。
現在の塔は、江戸時代に島津藩主・島津重豪が整備したもの。島津氏の起源は鎌倉時代、源頼朝から守護職に任じられたことにあるんですね。
その島津氏の祖とされる忠久の墓もあります。
頼朝の墓の東側。これまた階段を登った山の中腹に並ぶ三つのやぐら。
中央が頼朝の側近・大江広元、左がその子で毛利氏の祖となる毛利季光、右が島津忠久の墓と言われています。
■鎌倉宮
その法華堂跡からほど近いところにある史跡が鎌倉宮です。
こちらの祭神は護良親王。
鎌倉幕府の討幕に功を挙げた人物です。建武の新政を敷いた後醍醐天皇の皇子ですね。
(護良親王馬上像)
護良親王は、父・後醍醐天皇を助けて、北条氏が牛耳る鎌倉幕府の打倒に成功。
その武功を認められて征夷大将軍に任ぜられますが、将軍の座を狙う足利氏によって無実の罪を着せられます。
その後、鎌倉の東光寺に9か月も幽閉されると、足利直義の命により暗殺されました。
明治期に入って、東光寺跡に親王の霊を弔うために鎌倉宮が造られました。
武家社会から天皇親政を取り戻した明治政府にとっては、幕府と果敢に戦った護良親王は英雄だったんでしょうね。
鎌倉宮の中には、護良親王が9か月にわたり幽閉されたとされる土牢が残っています。
無念の思いやいかに…。しずかに手を合わせました。
源頼朝と護良親王。鎌倉時代の始まりと終わりを駆け抜けた英雄が眠る史跡。
鎌倉の街はまだまだ奥深いですね。
ありがとう、源頼朝! ありがとう、鎌倉宮!
■基本情報
【法華堂跡(源頼朝の墓)】
名称:法華堂跡(源頼朝の墓)
所在地:神奈川県鎌倉市西御門2丁目
アクセス:鎌倉駅からバスで10分、徒歩5分
【鎌倉宮】
名称:鎌倉宮(大塔宮)
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂154
アクセス:鎌倉駅からバスで10分 「鎌倉宮」下車
拝観時間:9:00~16:30(年中無休)
料金:300円