城ぶら「鍋倉城」!民話の里・遠野に残る戦国のものがたり

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、岩手遠野にある山城の跡、鍋倉城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

鍋倉城は、鎌倉時代初期から遠野の地を治めていた阿曽沼氏が築いた城です。
阿曽沼氏は、はじめ猿ヶ石川近くの横田城を本拠としていましたが、たびたび洪水被害に遭ったため、天正年間(1572-91年)の初め頃、鍋倉山に新城を築いて移りました

阿曽沼氏は鍋倉城を本拠として栄えますが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため、独立大名の地位を失い、南部氏の配下となります
その後、阿曽沼氏は一族の内訌によって没落。南部利直は、有力な一族である南部(八戸)直義にこの地を支配させることとして、直義は寛永4年(1627年)遠野に入部しました。

以降、鍋倉城は、240年余りにわたって、遠野南部氏12,500石の居城となりました。
明治2年(1869年)に廃城。現在は、鍋倉公園として整備されています。

■城ぶらり

それでは、そんな鍋倉城をぶらり探索してみましょう。

JR遠野駅を降りて、歩いて鍋倉山に向かいます。
駅前には河童の像がありました。ここ遠野は、地方の逸話や伝承を記した遠野物語の舞台。戦国時代も河童とか座敷童の話しとかしてたのかな…。

鍋倉城が築かれた鍋倉山につくと、目の前に長い石段が…。山城だから仕方ないか…。
長い石段を登ったところにある建物は南部神社です。その名の通り、遠野南部氏の初代から8代までを御祭神として祀っています。

お参りをして先に進みます。するときれいに植木が整備された「三の丸跡」へ。
奥に歩いていくと、趣のある建物が…。復興天守かと思ったら、展望台でした。遠野市街が一望できます。阿曽沼氏も洪水被害から免れてほっとしたことでしょう…。

続いて三の丸の向かいに位置する「本丸跡」へ。
山城めぐりでは恒例と化している長い石段を登ると、本丸館跡にたどり着きました。
ちょっと土塁っぽいのがありますね。昔はどんなお館があったのでしょうか…。

残念ながら建物は跡形もないですが、大手門跡や搦手門跡、八幡神社跡など、当時の所在を示す碑が建っています。
こういうのは有難いですね。想像力を働かせて、遠野南部氏の居城に思いめぐらせてみましょう。

さらに奥に歩みを進めると、「二の丸跡」です。
ここも広大な野原になっていますが、往時は館があったはず。どんな感じだったんだろうな…。

近辺には、戦国の城の名残りが残っています。
よく見ると分かる空堀跡。ここにイバラやカラタチ等のとげのある植物を植えて外敵の侵入に備えたのだとか。
こういう風に、自然の地形を生かしたり、植物を使ったりできるのは、山城の強みですね。これは攻めにくそうだ…。

「遠野物語」で知られる民話の里に、こんな戦国の山城があったとは…。
長い石段を登ったり、山道を歩いたり、結構バテました。戦国の合戦だったら、真っ先に討ち取られてるだろうな…(苦笑)。
もっと山城を城ぶらして、体力をつけないといけませんね!

ありがとう、鍋倉城!

■基本情報

名称:鍋倉城址
所在地:岩手県遠野市新町
アクセス:JR遠野駅から車で5分

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