家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火ぶた…池田恒興寝返りの急襲"犬山城の戦い"

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火ぶた…池田恒興寝返りの急襲"犬山城の戦い"です。

■家康を辿る物語

本能寺の変ののち、明智光秀や柴田勝家との戦いに勝利し、実質的に織田家臣団の筆頭となった羽柴秀吉
秀吉はさらに、主君・織田信雄(信長次男)をないがしろにする態度に出ると、両者の関係が悪化します。

信勝は、父信長の盟友であった徳川家康と同盟を結び、秀吉との対決姿勢を強めます。
一方、秀吉は信雄家臣の三家老を懐柔し取り込もうとしますが、信雄がその三家老を呼び出し殺害。これに激怒した秀吉は、信雄に対して出兵を決断しました。

家康は、秀吉との合戦に備えて、信雄のいる清州城に入城します。
すると間もなく、織田氏譜代の家臣で信雄に与すると思われていた池田恒興が、突如秀吉側に寝返ります。

恒興は、信雄方の犬山城を急襲してこれを占拠(犬山城の戦い)。さらに、織田氏譜代の森長可もこれと協調し、要所である小牧山の占拠を狙い兵を動かしました。
ついに小牧・長久手の戦いが勃発。秀吉と信雄の戦いは、やがて秀吉と家康の戦いに進んでいくのです。

■犬山城

家康を辿る城旅。今日は、小牧・長久手の戦いの火ぶたを切った犬山城をめぐりましょう。

犬山城は、尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城です。
当地を訪れると、そこだけ戦国から時を止めたような威容が残ります。丘の上にそびえる天守は現存する日本最古の木造天守です。

築城は天文6年(1537年)。織田信長の叔父である織田信康によって創建されました。
以来、織田氏ゆかりの武将が城主を務めます。小牧・長久手の戦い前夜は、織田信雄配下の中川定成が城主を務めていました。

石段を上って大手道を進んでいくと、その左右に広がる曲輪跡や空堀跡。曲輪跡には神社などが建立されています。
ところどころ屈曲する要所には門や石垣などが施され、攻め寄せて来る敵を迎撃する構造になっています。

本丸門をくぐると、目の前にどんとそびえ立つ天守。誰もが目を奪われる壮観な佇まいです。
最上階の屋根が反ったように弓なりになっているのが特徴。「唐破風」(からはふ)と言って犬山城の特徴であり、そのハンサムさを際立たせる造りとなっています。

城の出入り口の脇に突き出すようにあるのが「付櫓」
攻め寄せてきた敵兵を迎撃するための防御施設で、高い石垣に守られ、出窓から敵を攻撃できる構造になっています。

天守の中も見学できます。急な階段を上り下りするので、足腰の弱い人は要注意。
途中、ハンサムな佇まいを象徴する「唐破風」の内側、「唐破風の間」もありました。

最上階からは、ひろく四方を眺望できます。雄大な木曽川がすぐ脇を流れていました。
まさに天然の要衝…。攻め手への防御施設も備えていましたが、池田恒興の寝返りは想定外。そのとき城主の中川定成は伊勢へ派遣され不在、城方はわずか20数名だったといいます。

多勢に無勢…犬山城はあえなく落城。城は池田恒興が与した羽柴秀吉方のものとなりました。
やがて、この犬山城には秀吉も入城します。秀吉が目が凝らす先にいるのは、最大のライバル・徳川家康…。

いよいよ迫る決戦のとき。秀吉と家康が直接対決した唯一の合戦「小牧・長久手の戦い」が始まります。
今日の夢中は、その開戦前夜の舞台「犬山城」を訪れました。続きは次回の当ブログにて…。

■基本情報

名称:犬山城
住所:愛知県犬山市犬山北古券65−2
アクセス:犬山駅から徒歩20分
営業時間:(天守)9:00~17:00

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