城ぶら「花巻城」!取りつ取られつ…陸奥戦国の激戦を刻む城跡

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、岩手花巻ある戦国激戦の跡、花巻城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

築城年は定かではありません。
古くは、前九年の役のときに安倍頼時が城柵を築いたと伝えられています。

花巻城の前身は鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)と呼ばれ、室町・戦国期に当地の豪族・稗貫(ひぬき)氏が治めていました。
その稗貫氏は、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったために領地を没収されます。

鳥谷ヶ崎城には、秀吉麾下の浅野長政が入部しますが、旧領地を奪還しようとする和賀氏・稗貫氏が一揆を起こします(1590年)。
陸奥国の武将・南部信直らが援軍に駆けつけ、城を取り巻く一揆勢を撃退しますが、冬に城を護り通すのは困難として撤退。城は一揆勢の手に渡りました。

同時期に北方で九戸政実の乱もぼっ発。これら風雲急を見て、秀吉は大規模な奥州再仕置軍を派遣します。
秀吉軍は圧倒的な兵力で、奥州の反乱を鎮圧。これにより、秀吉の天下統一が完成しました(1591年)。

このとき鳥谷ヶ崎城にも仕置軍が侵攻。和賀・稗貫軍は駆逐されました。
この地は南部信直の領地となり、城代として南部氏の家臣・北秀愛(きたひでちか)が入城。城の名は「花巻城」と改められました。

ただ、当地の戦乱はまだ収まりません…。
関ヶ原の戦い(1600年)が起きると、和賀氏が旧領奪還を目指して蜂起(岩崎一揆)。花巻城に迫ります。

和賀軍は三の丸、二ノ丸を攻略して本丸まで攻め寄せますが、城代の北信愛(きたのぶちか)が智謀を駆使して撃退
戦乱相次いだ花巻の地は、ようやく平安を得ました。

江戸時代に入ると、南部家2代利直の次男政直が城主となり当地を治めます。
その後も花巻城は当地の要として存続しますが、明治2年(1869年)に廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、戦国期に「取りつ取られつ」、幾多の戦の舞台となった「花巻城」を城ぶらりしましょう。

花巻駅から歩いて10分ほど。いまは「鳥谷ヶ崎公園」と呼ばれる場所が、「花巻城址」です。
花巻城本丸の西側を守るのが「西御門」。枡形や櫓門が復元されています。

周辺に濠をめぐらせて鉄壁の構え。特に、敵方の接近すら阻むように切り立った堀切は圧巻です。
ここで押し寄せる敵勢を防いだのでしょう。さすがは、陸奥の戦国の城跡。激戦が偲ばれます。

門を入ると、広大な「本丸跡」が広がります。
江戸時代に南部政直が花巻城を近世城郭として完成させました。本丸には、二層二階の櫓などが建てられたと伝えられます。
ところどころに建物の礎石と思しき石もあります。昔はどんな感じだったんだろうな。こういう想像をするのが歴史ファンの楽しみ。

そんな想像力を一層かきたてるのが「御台所前門跡」(おだいどころもんあと)。本丸の南口となる門で、岩崎一揆(1600年)の際は、ここが激戦の地となりました。
このとき城方は、主力が最上義光(山形)の救援に向かっていたため、少数の兵しか残っていませんでした。城代・北信愛は残っていた武士や町民を束ね、知略を持って和賀軍を翻弄。三の丸、二の丸を突破して本丸に迫る敵軍を撃退しました。

本丸跡にはさらに、「菱櫓跡」「本丸御井戸」、「御武具蔵跡」、「三社跡」など、当時をしのぶ遺構が其処彼処にあります。
ちなみに、この辺りは「新渡戸ロード」と呼ばれていますが、「武士道」の新渡戸稲造は岩手盛岡出身。その祖先は、北信愛に仕え和賀氏との戦いにも参戦したようです。

■円城寺門跡

本丸跡を離れ、現在は花巻小学校となっている二の丸跡、さらに「城内」という地名のついた三ノ丸跡を通って、南に進みます。
そこに風格を感じる門が建っています。ここは搦手門(裏門)があったところ。それが「円城寺門跡」です。

この門は、南部利直が二子城(現北上市)から移設(1614年)、搦手円城寺坂に建てました。
旧花巻城の遺構として現存する唯一の建物です。

その円城寺門跡は、「鳥谷崎神社」の一画にあります。
創建は不明ですが、1313年再建したという記録がある歴史ある神社。室町期の1536年、時の城主・稗貫氏が三社を合祀して鳥谷崎座三柱神社と改称しました。

その境内にある「早坂稲荷神社」は、稗貫氏ゆかりの神社。
境内にある由来を読むと、もともとこの地は、奥州藤原氏を鎮圧したときの功績から、稗貫氏が源頼朝から与えられたもの。この稲荷神社は、城や住民の鎮守安寧を祈るために遷座したとあります。

稗貫氏は、秀吉に対して反乱を起こしたために「一揆勢」とみなされますが、もともとは源頼朝麾下だったんですね…。
ただ、それですら奥州藤原氏から見れば、許しがたき敵方だったのでしょう。

攻める者、攻められる者、それぞれに歴史あり。
歴史はすべて勝者によって書かれますが、本当は敗者の歴史にこそ学ぶものがあるのかもしれませんね。

ありがとう、花巻城! ありがとう、鳥谷ヶ崎城!

■基本情報

名称:花巻城址
所在地:岩手県花巻市城内
アクセス:JR花巻駅から徒歩10分

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