城ぶら「賤機山城」!今川・武田決戦の帰趨を握った天然の要害

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、静岡市の駿府城の近く、賎機山にある山城「賎機山城」(しずはたやまじょう)です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

「賎機山城」(しずはたやまじょう)は、その名の通り、静岡市にある賎機山に築かれた山城です。
賎機山は、標高171mの南北に細長い山。周囲は平野が広がっていて見晴らしが利き、西側には安倍川が流れているという、城には好条件の立地と言えます。

ここに城が築かれたのは、駿河の守護・今川範政が駿府に入った1411年前後と見られています(それより古いという説もあります)。
その今川氏が拠点とした今川館(駿府城の近くと推定)の詰城として築かれたと考えられています。

今川氏は、桶狭間の戦い(1590年)で織田信長に敗れて没落。
1568年、武田信玄が駿河に侵攻すると、今川館に火を放って焼き尽くし、当主・氏真は駿河を追われました。

このとき、信玄が陣を敷いたのが「龍鼻」。これが賎機山城と考えられています。
その後、駿河を手中にした武田氏の管理下に置かれましたが、1582年に徳川家康が駿府に入ると廃城となりました。

■城ぶらり

それでは、静岡・賎機山にある戦国の山城、賎機山城をぶら歩きしましょう。

現在の賎機山城は、市街地からほど近い、地元の人たちのウォーキングコースになっています。
…といっても、山歩きなので、なかなか健脚でないと難しいというのが、実際に体験してみた感想です。

城へは、市街にある静岡浅間神社から登って行きます。
神社の脇の100段の石段を登って山頂をめざします。

100段の石段を登ると、境内社の麓山神社(はやまじんじゃ)があります。
すでにへばり気味ですが、山頂まではここから山道を約40分ほど歩いていくことになります。

ネット情報では「ハイキングがてら」などと書かれていますが、現実はそんな甘くない…。
運動不足なひと(館長ふゆき含む)はキツい…。階段や山道が脚にきます

途中、ひらけた場所に着きますが、ここは戦没者の慰霊塔。城跡とされる本曲輪はまだ先です。
ただ、この辺りに来ると、市街を一望できて、城として好立地であることがよく分かります。
武田信玄もこの立地に目をつけて、ここに陣を敷いたのでしょうか。

ここからも山道が続きます。戦国武将目線で言うと、天然の要害といった感じ。
地形を生かして、尾根沿いに曲輪を並べたのでしょう。先ほどの慰霊塔があった場所も曲輪跡と推測されます。

しばらく歩くと、ようやく本曲輪跡と見られる場所へ。
「賎機山城塞址」の石碑が建っています。近くには土塁や堀切も。いずれも地形を生かして要害化したような印象です。

ここにある案内板には、賎機山城の築城は14世紀と書かれてあります。
「南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝以後は今川館の詰城としての役割を果たしていた」と。

南北朝の頃から、この地は群雄割拠の戦が繰り広げられていたのですね…。
確かに静岡駿府は、今川、武田、徳川と、天下を狙った武将の版図となってきました。賎機山城は、そうした武将たちの帰趨を握った城、そんな風に言えるかもしれません。

それにしても、戦国武将たちは健脚だったんだな…。
この後の下山も、運動不足の館長ふゆきにとっては、なかなかに難儀な道程でした(苦笑)。

ありがとう、賎機山城! もっと運動しておこう…。

■基本情報

名称:賎機山城(しずはたやまじょう)
所在地:静岡県静岡市葵区大岩
アクセス:静岡浅間神社から徒歩

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