城ぶら「小川城」!戦国期の群雄割拠、真田昌幸が手に入れた城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、緑の木々に包まれる戦国の城跡、小川城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

築城は、明応元年(1492年)。沼田景久が沼田城の西の備えとして築きました。
景久は二男の景秋に小川氏を名乗らせて、城主としました。

景秋の子・秀泰は岡林斎と名乗り、沼田七騎のひとりに数えられるなど、勇名を馳せます。
しかし、4代景奥の代になると、北条氏が当地に進出。幾度の戦火のなかで、景奥の子が焼死、景奥自身も討死して小川氏は断絶の憂き目にあいます。

このとき、客分として城内に留まっていた赤松祐正と名乗る浪人が、上杉謙信の裁可によって、小川可遊斎と名乗り小川家の名跡を継ぎます。
可遊斎は、北条氏と戦い幾度かこれを退けますが、大軍を繰り出した北条軍の前に敗走、越後に逃げました。

この後、小川城を手に入れたのは真田昌幸です。
謙信の死後、可遊斎を味方に引き入れていた昌幸は、小川家出身の北能登守を城代として小川城を支配しました。昌幸は、この小川城を沼田城の支城として、北毛地区の地盤を固めたものと考えられます。

江戸時代には、真田信幸の孫となる真田信利が沼田藩主となるまでの間、城内に住んでいたとも記録されています。
現在城址は、本丸部分が公園化されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。

■城ぶらり

それでは、戦国期の激戦の跡、小川城址をぶら歩きします。

国道から城址に入るとすぐ、目の前に空堀跡が広がります。
雑草が至る所に映えていますが、これは立派な空堀です。さすがは激戦の地…。城方はここで敵を迎え撃ったのでしょう。

ところどころに、石垣の跡。石積みと言ったほうがいいような粗っぽさ。
曲輪を形成していたのかもしれません。こちらも激戦の跡が偲ばれます。

奥に進むと、開けた場所に。「本丸跡」です。
戦国期には、北条、上杉、真田の争奪戦となった場所。幾度、軍議が開かれたことでしょうか…。

本丸の奥手に、小川城址の碑があります。
ここも緑がうっそうと生い茂っています。要害感が醸し出されていますね。

そこかしこに土塁の跡もあります。
土塁の上から敵方に攻撃を仕掛けていたのでしょう。この辺りは、戦国の城好きにはたまりませんね。

他にも、戦国の城好きが想いを馳せるポイントがいくつかあります。
この城は、切り立った場所に築かれています。側面攻撃を仕掛けようとしても天然の要害が立ちふさがる…。敵は攻めにくかったでしょう。

国道を挟んだ向かい側に、二の丸跡があります。
当時の威容をうかがい知ることはできませんが、本丸決戦に至る前の防衛拠点だったのでしょうか…。

以上、戦国の城跡、小川城址。
最後はまんまと真田昌幸がものにしちゃうってのも、智将・昌幸らしくていいですね。
こじんまりとした史跡ですが、戦国の城好きにはたまらない城跡です。

ありがと、小川城! ありがとう、真田昌幸!

■基本情報

名称:小川城址
所在地:群馬県利根郡みなかみ町月夜野1140
アクセス:JR上毛高原駅から徒歩3分

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