城ぶら「小田原城」!戦国の命運を握った難攻不落の城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、日本100名城にも登録されている関東を代表する名城、小田原城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

東海道の要衝を守った、難攻不落の堅城、小田原城
その築城は15世紀中ごろ、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏によるものと言われています。

ただその城が日本の表舞台に表れるのは、戦国の風雲児・北条早雲がこの城を攻略してから。
明応4年(1495年)、北条早雲はときの城主・大森藤頼を急襲し、小田原城を奪取。この後、北条5代約100年に続く繁栄の基礎を築きました。

小田原城を居城とした北条氏は、ここから関東一円に勢力を拡大していきます。
しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めにより、3か月にわたる籠城の末に落城…。北条氏は滅亡し、戦国時代は終焉をむかえました。

北条氏滅亡後は、徳川麾下の大久保氏稲葉氏が城主となり、近世城郭に改修されます。
17世紀末からは再び大久保氏が城主として入ると、明治3年の廃城まで当地を治めました。

なお、江戸時代の城郭は関東大震災により崩壊してしまいました。
現在の天守閣や隅櫓、銅門などは市民の強い願いにより復元されたものです。

■城ぶらり

それでは、関東の名城、小田原城をぶら歩きします。
二の丸隅櫓を横に観ながら、早朝のお堀端をウォーキング。朝焼けを浴びて光る白い壁が美しい…。

正面入り口の「馬出門」に向かいます。
こちらは三の丸から二の丸に向かう大手筋に位置する門。2009年に復元されました。
桝形になっていて内側に内冠木門があります。この戦国らしい造り、城好きにはたまりません。

おすすめルートは、馬出門から銅門、常盤木門を通って、天守に向かうルート。
次の見どころ「銅門」(あかがねもん)は、江戸時代の小田原城二の丸の表門です。
こちらも櫓門と内仕切門の2つの門で構成される桝形の門。石垣と土塀も趣があります。こちらは1997年に復元されました。

当時の侍になった気分で本丸に向かいましょう。
本丸の正面入口となるのが「常盤木門」(ときわぎもん)です。1971年に再建されました。
常盤木とは常緑樹のことで、松の木が常に緑色をたたえて長く生長することになぞらえて、小田原城の末永い繁栄を願って常盤木門と名付けられたと言われています。

そしていよいよ、白亜の天守へ。
1960年に復興事業のさきがけとして再建された復興天守です。
本丸の西端に位置し、城下を一望できます。なんと美しい天守でしょうか…。

さらに周辺には、ゆかりの史跡があります。
北条氏によって構成された曲輪の一つ、「小峰曲輪跡」。その北堀は、石垣を用いない土塁と空堀だけの戦国の原形を留めた貴重な遺構です。曲輪跡には「報徳二宮神社」が建っています。

さらには、三の丸から二の丸への裏手の入口だった「弁財天曲輪跡」
北条4代氏政が当主の頃、上杉謙信や武田信玄がこの付近から小田原城を攻めたと言われています。
それでも落ちなかった難攻不落の城。謙信と信玄の両雄を退けた城とは、胸アツですね…。

いやぁ、やっぱり城はいいですね。侍気分で戦国時代を妄想しながらぶら歩きすると気分が昂揚します。これは楽しい…。
今日の城ぶらは、日本100名城の一つ、戦国の命運を握った堅城「小田原城」でした。

■基本情報

名称:小田原城
所在地:神奈川県小田原市城内6-1
アクセス:JR小田原駅から徒歩10分
営業時間(天守):9:00~17:00
料金(天守):大人510円、小中学生:200円

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