こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、明智光秀が築いた京都亀岡の城、亀山城です。
■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
亀山城は、織田信長から丹波攻略の命を受けた明智光秀が、その拠点として1578年に築城しました。
創建当初は3重天守であったと言われています。
1582年、信長から光秀に、毛利軍と戦う羽柴秀吉の援軍として中国出陣の命令が下ります。
同年6月、ここ亀山城を出発した光秀は、突如進路を変えて京都市中にある本能寺を襲撃。主君である信長を討ちました(本能寺の変)。
しかし、その光秀も、中国大返しにより京都に駆け付けた秀吉との戦いに敗れ、逃走中に討ち死。
その後、亀山城は、秀吉の重要拠点として羽柴秀勝、豊臣秀俊(小早川秀秋)ら一族が城を治めました。
江戸時代に入っても、この城の重要性は変わらず、家康は譜代大名の岡部長盛を城主とすると、西国の諸大名に石垣や堀を築かせる天下普請で城を改修強化。
1610年頃には、5重5階の天守が完成しました。
明治に入ると、亀山城の廃城処分が決定。市町村に払い下げられ転売されます。
現在は、宗教法人「大本」の施設の敷地になっていて、一部は一般が見学できるように開放されています。
■城ぶらり
さまざまな武将が城主を務めた亀山城。
ただ、亀山城と言えば、やっぱりこの人ですね。
明智光秀。城のふもとに、明智光秀像が建っていました。
大河ドラマ「麒麟がくる」で脚光を浴びる光秀。その亀山城は現在、宗教法人「大本」の敷地となっていて、本丸などは神域として立ち入りが制限されていますが、受付に申し出ると本丸の手前までは見学可能です。
(内堀跡)
受付で案内図をいただいて、さっそく城跡をぶら歩きしましょう。
歩き出して間もなくすると、さっそく城の面影に出会えます。石垣の跡です。復元されたものですが、その積み方も形も美しいですね。。
石垣をよく見ると、刻印がされているものがあります。
これは、天下普請の名残り。築城に駆け付けた大名たちが印したものです。大改修工事のあとが偲ばれます。
二つ目の門の入り口が、かつての本丸の入り口とされています。
ここを通って本丸の手前までは見学が可能です。
入るとまもなく、井戸跡とされる石組みがあります。
少なくとも江戸時代以前からあったと見られています。
圧巻は、復元された天守石垣。
下から約3分の1は、光秀築城当時の穴太(あのう)積みが残っています。貴重な史跡ですね。
石碑の上には、かつて光秀が手植えしたとされる大イチョウがあります。
ただ、その大イチョウも江戸時代中期に台風で倒れ、いまのイチョウはその後に若木を植え替えた後継木なのだとか。
あらためて、ここ亀山城に来て、当時の光秀の決意に思いを馳せます。
ときは今 雨がしたしる 五月かな
光秀が主君・信長を討とうと思い立ったのはなぜだったのか。そして、その後の天下をどうしていくつもりだったのか…。
佳境を迎えた大河ドラマ「麒麟がくる」で、その辺りがどう描かれるのか、とても楽しみです。
ありがとう、亀山城! ありがとう、明智光秀!
■基本情報
名称:亀山城
所在地:京都府亀岡市荒塚町
アクセス:JR亀岡駅から徒歩5分
受入時間:9:30~16:30