城ぶら「江戸城」!家康、征夷大将軍に就任。天下普請で"江戸城"を築く

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館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、城ぶら「江戸城」!家康、征夷大将軍に就任。天下普請で"江戸城"を築く…です。

■家康を辿る物語

関ヶ原の戦いに勝利して、ついに天下人としての立場を確立した徳川家康
慶長8年(1603年)、朝廷から征夷大将軍に任命されます。家康は、江戸の地に幕府を開くこととし、ここに江戸幕府が誕生しました。

これと合わせて、家康は江戸の新たな町割りや江戸城の拡張に着手します。
神田山を崩して日比谷入江を埋め立てるなど大工事を敢行。全国の諸大名に普請を命じて(天下普請)、石垣や天守台の整備を進めました。

これだけ大掛かりな天下普請を号令した背景には、徳川幕府体制の強化はもちろん、大名たちに戦を目論む余裕を与えないことなどの意図があったと考えられます。
着々と江戸城の普請が進んでいくなか、慶長10年(1605年)に家康は将軍を辞することを表明、将軍職を嫡男・秀忠に譲りました。

これにより将軍職は以後、徳川が世襲していくことを天下に示したのです。
一方で、これを快く思わなかったものもいました。それはかつての天下人である大坂城の主、豊臣秀頼とその母・淀殿でした…。

■江戸城三の丸、二の丸跡

ついに、天下人としての地位を獲得した徳川家康
征夷大将軍として江戸の地に幕府を開くと、全国の諸大名に命じて江戸城の大規模な増築強化を進めました。

将軍の居城となった江戸城は、江戸幕府の終焉とともに天皇が京から移り、現在の皇居となりました。もちろん、そちらは立入禁止です。
ただ、旧江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部は、現在「皇居東御苑」として整備され、一般に開放されています。

歴史への思いをはせながら、面積約21万㎡にも及ぶ広大な庭園をめぐっていきましょう。
皇居東御苑には3つの出入り口があります。その一つ「大手門」は、かつての江戸城本丸登城の正門。城門警護は10万石以上の譜代大名が務めていたといいます。

(大手門)

将軍に会うために登城した大名の心持ちで進んでいくと、「同心番所」と「百人番所」という詰所後があります。
いわば、登城者の監視を行う検問所のような場所。特に「百人番所」は圧巻…。往時は、4組の鉄砲百人組が昼夜交代で勤務していたのだとか。怪しい者は捕らえられたのでしょう…。

(左:同心番所、右:百人番所)

さらに進んでいくと、風光明媚な日本庭園が広がります。ここは、かつての二の丸跡に築かれた「二の丸庭園」です。
9代将軍家重の時代の庭絵図面をもとに復元された回遊式庭園。家康が築いた泰平の世の空気がただよってきますね…。

(二の丸庭園)

■江戸城本丸跡

二の丸から本丸に向かう坂道は、「汐見坂」(しおみざか)と呼ばれる、家康の時代を偲ぶ貴重な史跡です。
江戸城築城の頃は、この場所の近くにまで日比谷入江が入り込んでいたのだとか。この坂から海を眺めることができたことから「汐見坂」の名が付いたと言われます。
家康は江戸の町をつくるにあたって、神田山を切り崩して、その土砂でもって入江を埋め立てました。江戸・東京の基礎をつくったんですね…。

(汐見坂)

本丸跡には、広大な広場「大芝生」が広がります。何よりもその広さに圧倒されます。
かつては建物などもあったのでしょう。「大奥跡」や「松の大廊下跡」など、江戸城ゆかりの跡地を示す石碑もありました。

(本丸跡・大芝生)

その大芝生の南側、本丸跡に現存する唯一の櫓が「富士見櫓」。高さ約16mの三重櫓です。
明暦3年(1657年)の大火で天守閣とともに焼失しましたが、その2年後に再建。再建されることのなかった天守に代わる役割を果たしたといわれています。

(富士見櫓)

その明暦の大火で消失した天守ですが、再建を目指して天守台が築かれました。その遺構が本丸北側に残っています。
さすが天下の江戸城、立派な天守台です。しかし、土台となる天守台は築いたものの、その上に天守が築かれることはありませんでした
これは、明暦の大火で江戸の町の大部分が焼失し、軍事上の無用な天守の再建より町の復興を優先したためと言われています。将軍家、さすがですね…。

(天守台)

なお、江戸城本丸には3度、天守が築かれています。家康の慶長度天守(1607年)、2代将軍・秀忠の元和度天守(1623年)、3代将軍・家光の寛永度天守(1638年)です。
本丸休憩所増築棟には、このうち最も大きかった寛永期の天守を復元した模型が展示されています。五重6階、高さは約60mで20階建てのビルに相当します。
家康の慶長度天守も5重6階の造りであったとされ、その威容は察するに余りあります。まさに天下人の城ですね。

(江戸城天守復元模型)

なお、皇居東御苑には3つの門のうち、先述の「大手門」以外の門は、「平川門」と「北桔橋門」
「平川門」は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていた門。
「北桔橋門」(きたはねばしもん)は、江戸時代は門前の堀に跳ね橋がかけられていた門です。この門を入ったすぐ正面に天守があり、防御性を高めていたと考えられます。

(左:平川門、右:北桔橋門)

■基本情報

名称:皇居東御苑(江戸城跡)
住所:東京都千代田区千代田1−1
アクセス:大手町駅から徒歩5分、東京駅から徒歩13分
営業時間:(3/1~4/14)9:00~17:00、(4/15~8月末日)9:00~18:00、(9月1日~9月末日)9:00~17:00、(10/1~10月末日)9:00~16:30、(11/1~2月末日)9:00~16:00
休園日:月曜日・金曜日。12/28~1/3。

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