
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「善照寺砦」!信長、桶狭間へ繋げる包囲戦。今川の城を圧する三砦です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
善照寺砦(ぜんしょうじとりで)は、織田信長が鳴海城を囲むために築いた「三砦」の一つです。
他の二砦(丹下砦・中島砦)とともに、今川方の鳴海城を圧迫する役割を担いました。
鳴海城は、織田方の城であったものが今川方に寝返った因縁の城。当時、今川方の武将・岡部元信が入って守りを固めていました。
信長は正面攻撃ではなく、周囲に砦を築くことで補給路を断ち、心理的にも追い込もうとしたのです。この包囲戦の構図が、のちの桶狭間の戦いへとつながっていきます。
永禄3年(1560年)、今川義元は大軍を率いて尾張へ侵攻します。信長は清須城を出発し、鳴海城を囲む三砦へと兵を進めます。
信長はここから今川軍の動きを確認。「義元、桶狭間山にて休息中」の報を受けると、義元本隊への奇襲を決断。運命の桶狭間へと向かっていきました。
■城ぶらり
それでは、運命の桶狭間につながる、鳴海城を包囲した「善照寺砦」跡をぶら歩きしましょう。
善照寺砦は、鳴海城の東側に築かれた砦です。砦跡は現在、その名も「砦公園」(名古屋市緑区)として一般に開放されています。
今は住宅が並んでいる中で、ここは周囲より一段高い場所になっています。高台の上から今川方の鳴海城をけん制したのでしょう。


公園内をよく見ると、「砦」の面影を残すアップダウンがあって、思わず戦国期に思いを馳せます。
さらには、土塁の跡を思わせる地形も。この造りは、信長の鳴海城奪還に向けた思いの表れか、それとも今川義元を引き寄せる罠だったのか…。


鳴海城を囲む三砦、残りの2つにも足を運びましょう。まずは、鳴海城の北側に築かれた「丹下砦」跡。
砦の規模は、東西46間(84m)、南北43間(78m)と伝わります。砦跡を示す遺構はありませんが、当地にはこんもりと盛り上がった台地がありました。


さらには、鳴海城の南側に築かれた「中島砦」。こちらは、三砦のなかでも最も遺構が残っていません。
周囲が宅地化されたのでやむを得ないですね…。住宅地の中にひっそりと「中島城址」の石碑が建っていました。


あらためて当地を訪れてみると、この三砦は気軽に歩いてまわれる位置関係にあることが分かります。もちろん今川方の鳴海城も。
そんな目と鼻の先に砦を3つも築かれたのだから、今川方はたまったものではありませんよね…。
そして今川義元は、この鳴海城の救出を一つの目的として、駿河を出立。運命の桶狭間へと軍を進めたのです。
今日も夢中は、城ぶら「善照寺砦」!信長、桶狭間へ繋げる包囲戦。今川の城を圧する三砦でした。
ありがとう、善照寺砦! ありがとう、丹下砦&中島砦!
■基本情報
名称:善照寺砦跡(砦公園)
住所:愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3−3 南荘会館
アクセス:名鉄「鳴海駅」から徒歩約15分
開城時間:24時間








