
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
歴史好きの館長が、日本全国の名所旧跡をめぐる歴史散策ブログ。
今回は、いつものお城めぐりではなく、歴史ある古社を探訪する特別編、「寺社ぶら」です。
今日の夢中は、皇室の菩提寺として「御寺」とも呼ばれる、京都の「泉涌寺」へ。
寺社ぶら「泉涌寺」!山内に広がる聖地「御寺」へ。荘厳な伽藍と御陵を巡る京都歴史旅…です。

■歴史と沿革
泉涌寺(せんにゅうじ)の草創については、詳しく知られていません。
伝承によれば、斉衡2年(855年)に左大臣・藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし、「仙遊寺」と称したことが前身とされます。
鎌倉時代に入った建保6年(1218年)、宋で仏教を学んで帰国した名僧・俊芿(しゅんじょう)がこの地を譲り受け、壮大な伽藍の建立を計画します。
その際、境内の一角から清らかな泉がこんこんと湧き出たことから、寺号を「泉涌寺」と改めました。これが現在の名前の由来です。
当寺は、公家・武家両方から深く信仰を集めました。貞応3年(1224年)には、後堀河天皇により勅願寺と定められ、その崩御の際は本山背後の山稜に葬られます。
続いて四条天皇も同所に葬られ、これ以降、多くの天皇の陵墓がこの地に造営されることとなり、皇室の菩提寺として「御寺」(みてら)と呼ばれるようになりました。
室町時代の「応仁の乱」の戦火によって、泉涌寺も多くの堂宇を焼失してしまいます。
しかし、江戸時代に入ると皇室を重んじる徳川幕府の強力な支援によって、見事に再建の道を歩みます。
現在残っている壮麗な仏殿や舎利殿は、この江戸時代初期に再建された貴重な遺構です。
■泉涌寺の見どころ
それでは、皇室・武家ともに深く帰依された御寺「泉涌寺」の広大な境内を歩いて巡りましょう。
はじめに泉涌寺の正門にあたる、重厚な「大門」。結界の象徴、ここから聖域が始まります。
江戸時代初期、京都御所の内裏の門であったものを移築したと伝わります。まるでお城の門を彷彿させる、堅固で堂々とした造りです。

この門をくぐると、通常のお寺とは逆に参道が下り坂になっている(降り参道)のが非常に珍しいポイント。
門の上から見下ろす緑豊かな谷と、その奥に佇む仏殿の姿は、まるで隠れ里の城郭に迷い込んだかのようです。

降り参道の正面に建つ「仏殿」は、4代将軍・徳川家綱によって再建された本堂です。
建物内部には、運慶作と伝わる阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏が安置されています。天井に描かれた「雲龍図」や、本尊背後の「白衣観音」は狩野探幽の筆によるもの。圧巻でした。※写真撮影不可。

その仏殿と並び立つのが、こちらも泉涌寺の象徴的な伽藍「舎利殿」です。
江戸初期の慶長年間に、京都御所の建物を移築・改築したものとされます。こちらの天井には狩野山雪筆の龍図が描かれ、「鳴龍」としても知られていますが、残念ながら非公開です。

降り参道を下りて、仏殿のすぐ右手にあるのが、寺名の起源となった清水を覆う「泉涌水屋形」(せんにゅうすいやかた)です。
寛永8年(1668年)に再建された美しい木造の建物。現在もこの中で建物名の由来となった泉水が湧き続けています。

そして、皇室の菩提寺「御寺」ならではの見どころが、歴代の天皇・皇族が眠る御陵です。
広大な敷地のなかに、25もの御陵がある月輪陵・後月輪陵や、周辺に点在する後堀河天皇陵や孝明天皇陵など、数多くの御陵があります。
普段、お城めぐりで武将たちの墓所を巡ることが多いですが、ここ天皇陵がまとう空気はまったく異質。天空の聖域とも言うべき、神聖なオーラに包まれているようでした。


(左:後堀河天皇陵、右:孝明天皇陵)
泉涌寺は、京都の有名な観光寺院とは一線を画す、気品と静謐さに満ちた「特別な聖地」でした。
大門から見下ろす景色、荘厳で美しい伽藍、そして日本の歴史を動かしてきた歴代天皇の魂が眠る御陵―そのすべてがお城ファン、歴史ファンの知的好奇心を刺激してやみません。
京都を訪れた際は、きらびやかなお寺だけでなく、ぜひこの天空の聖域「御寺 泉涌寺」へ足を運んでみてください。
今日の夢中は、寺社ぶら「泉涌寺」!山内に広がる聖地「御寺」へ。荘厳な伽藍と御陵を巡る京都歴史旅…でした。
ありがとう、泉涌寺! ありがとう、御寺!
■基本情報
名称:泉涌寺(せんにゅうじ)
住所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
アクセス:JR奈良線・京阪本線「東福寺」駅から徒歩約10分
拝観時間:9:00~16:30








