
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、日本100名城の一つ、大分の名城「府内城」です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
日本100名城の一つ、府内城(ふないじょう)。その起源は、鎌倉時代から戦国時代にかけて豊後を治めていた大友氏の頃にさかのぼります。
大友氏は、現在の大分駅東方(府内城の南東方向)に大友氏館という守護館を築き本拠としたことから、当地は「府内」と呼ばれるようになりました。
大友氏が去った後、安土桃山期になって、豊臣秀吉の側近・福原直高が12万石の知行を得て当地に入ります。
直高は秀吉の指示もあって、大分川河口の荷落と呼ばれる平地に、新城の築城を開始します。それが現在の府内城(荷揚城)です。
秀吉没後、直高は失脚し除封・改易。その後、関ケ原合戦後に入封したのが竹中重利です。
重利は、秀吉の軍師・竹中重治(半兵衛)の従弟か甥にあたる人物ですが、関ケ原合戦では黒田如水に説得されて東軍に加盟。
戦後に加増されて府内城を与えられると、城の大改修を行い、現在の府内城の形を完成させました。
重利は、府内城下に港や城下町を整備し、現在の大分市の発展の基礎を築きました。



■城ぶらり
それでは、日本100名城の一つに数えられる、大分の名城・府内城をぶら歩きしましょう。
府内城跡は、現在「大分城址公園」として一般に開放されています。
享保3年(1743年)の大火によって天守をはじめ城内の多くの建物が焼失してしまいましたが、今も残る石垣やお堀から、往時を偲ぶことができます。


それでは、城の西側から時計回りで、その石垣とお堀に沿って、ぐるっと歩いてめぐります。
西北部にある、堀にかかる橋が「廊下橋」。かつて大手門にあった廊下橋をモデルに復元したものです。屋根があって、なんだか特別感がありますね。


その先に進むと、「人質櫓」があります。その名の通り、人質を収容していたと言われます。
こちらは数少ない江戸時代から残る建物です。現在の櫓は、文久元年(1861年)に再建されたものです。


城址の北東部へ。ここのお堀が一番広いようです。城址の東丸に建つのが「北東角二階櫓」(復元)です。
この櫓の北側には、かつて「水手口」と呼ばれる場所があり、門と内堀に降りる階段がありました。享保の大火ときは、ここから貴重品を船で運び出したそうです。


さらに歩いて南東部へ。ここにも白亜の櫓が建っています。こちらは「平櫓」(復元)。
古図では平櫓ですが、二階建てで復元されています。訪れた時期はちょうど桜の時期。満開の桜に息を飲みました。


そして城址の南側。ここが、府内城の正門、「大手門」(多聞櫓門)(復元)です。
大手門は桝形の門になっています。さらに、その門の右側には「着到櫓」(復元)が建っています。多聞櫓からも着到櫓からも攻撃できる仕掛け。完璧ですね…。


大手門の左手には、「宗門櫓」があります。
こちらは、人質櫓とともに江戸時代から残る数少ない遺構の一つ。上下交互に設けられた狭間も面白いですね。

そして城址の南西部へ。「西隅櫓」(復元)が建っています。
角に出っ張っているのは、石落としですかね。石垣とともに、当時の鉄壁の守りが偲ばれます。


それにしても石垣が美しい…。堀に映る石垣まで、城好きにはたまらない景色です。
天守はなくとも、この石垣と櫓めぐりで十分に城めぐりを堪能できます。


今日の夢中は、城ぶら「府内城」!秀吉側近と軍師ゆかりの武将が築城・改修!石垣と櫓が美しい城跡でした。
ありがとう、府内城! 日本100名城の一つ、大分の名城でした。
■基本情報
名称:府内城跡(大分城址公園)
所在地:大分県大分市荷揚町1−2−1
アクセス:大分駅から徒歩10分