
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。そんな人たちにとって最高の旅。
それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、神奈川県真鶴半島に残る古代の城跡「荒井城」です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
荒井城の築城は、平安時代と考えられます。
後三年の役において、源義家に従って活躍した荒井実継の居城であったと伝えられます。ただ、詳細は不明で、屋敷ではなく詰の城(砦)があったとの説もあります。


荒井氏の後は、鎌倉幕府の有力御家人である土肥氏の出城となったと言われます。
この土肥氏(相模土肥氏)の祖・実平は、源頼朝の挙兵時から付き随った忠臣。頼朝が平氏と最初に衝突した石橋山の戦い(1180年)は荒井城の北9㎞の地点で行われています。このとき、実平は敗北した頼朝を真鶴港から安房へ逃がしています。
さらに戦国時代には、北条氏がこの地域一帯を支配しました。
北条氏は荒井城に狼煙台を築いていたとも言われますが、残念ながらそれを示す遺構は残っていません。
城址は現在、「荒井城址公園」として整備されています。


■城ぶらり
それでは、真鶴・荒井城を城ぶらりしましょう。


JR真鶴駅から、現在は荒井城址公園となっている荒井城跡に向かいます。
公園の入口には、「城址碑」が掲げられていました。石碑文には次のように書かれています。
後三年の役(1083年)に源頼家に従って活躍した荒井実継の居城であったといわれています。のちには土肥氏の出城となり、また後北条氏時代にはのろし台が置かれていたともいわれています。
(荒井城址石碑文)
自然の地形を利用した周囲2㎞ほどの谷戸構えの構造は、県西地方では珍しいものといわれ、付近に城口、城の本などの関連する地名が残っています。山頂一帯の釈迦堂遺跡は、縄文式土器や石器類の出土で知られています。
たしかに、道すがら眺めた景色は、海上の監視や街道の抑えとしては最適。
有事のときは、ここから狼煙(のろし)が上がったかもしれません。


城址碑のある入口を登っていくと、空堀と見られる跡があります。
また土塁と思しきところもあります。ただ案内は全く無いので、詳細は分かりません。


階段を登り切ると、広く開けた場所に出ます。ここは曲輪があったのでしょうか…。
一説にある通り、荒井城というよりは、領主の居館が置かれた「荒井館」であったのかもしれません。


この城址公園の近く、より高いところに住宅地が広がっています。
そちらのほうが海も一望できるので、城本体としては相応しいように思います。中世の頃はこの丘陵一帯が城の役割を担っていたのかもしれませんね。


明確な遺構も伝承もなく、なかなか城の痕跡を紐解くのは困難ですが、それでも源頼朝や北条氏がわずかでも関与していたかと考えると、歴史ファンは妄想がふくらいます。
いつか、過去を紐解く資料が出てきたりするといいな…。今日の城ぶらは、真鶴半島にある城跡「荒井城」でした。
■基本情報
名称:荒井城址(荒井城址公園)
所在地:神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1789
アクセス:JR真鶴駅から徒歩5分