
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、泰平の世をもたらした英傑、ここに眠る…徳川家康を祀る「久能山東照宮」です。

■家康を辿る物語
元和2年(1616年)1月、鷹狩りに出た田中城で病に倒れた徳川家康。
その後、駿府城に戻り療養生活に入りますが、病状は回復することははありませんでした。
それでも同年3月、朝廷から太政大臣に任じられると、病を押して任官の勅使と対面しました。
このとき家康は駿府に集まった諸大名に「将軍・秀忠の政策がよくないときは、各々が代わりに天下を治めよ。天下は一人の天下にあらず、天下は万民のための天下なれば、我はこれを怨まず」(徳川実紀)と語ったといいます。
同年4月17日巳の刻(午前10時ごろ)、家康は駿府城でしずかに息をひき取りました。
その遺体は、家康の遺言に従い、亡くなった日のうちに久能山に運ばれ、2日後に埋葬されました。
天下泰平の礎を築いた英傑、徳川家康の生涯はここに閉じました。享年75(満73歳)。
■久能山東照宮
天文11年(1542年)12月26日、三河国の岡崎城で生まれた徳川家康。
幼少期から苦難の日々を送りますが、梟雄豪傑がしのぎを削る中で頭角を現し、ついには天下人の座に就き、戦国乱世に終止符を打ちました。
旗印として掲げたのは「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」(争いにまみれた現世を離れ、永遠に平和な世界をつくる)。
天下泰平を実現するために粉骨砕身した英傑は、元号を「慶長」から「元和」(平和のはじめの意)に改めてまもなく、息をひき取りました。
その遺体の埋葬された場所が、家康が晩年を過ごした駿河国、現在の静岡市にある「久能山東照宮」です。
家康は当地を「駿府城の本丸と思う」と重要視したとされ、その遺体は遺言に従い久能山に葬られました。のちに2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)が造営されています。


(日本平ロープウェイ)
久能山東照宮には、日本平ロープウェイに乗って向かいます。日本平駅から下りの往路は5分ほど、駿河湾などを見渡しながら久能山駅へ。
そこから歩いて東照宮へ向かいます。はじめに出迎えてくれるのが、赤く荘厳な「楼門」です。元和3年建造、前面に後水尾天皇による「東照大権現」の額が掲げられています。


(楼門)
さらに歩みを進めていくと、東照宮の唐門が姿を現しました。
東照宮の社殿はこの唐門の奥にあります。訪れたのはちょうど花の季節。桜がとてもきれいでした。


(唐門)
そしていよいよ社殿へと向かいます。唐門は通れないので東門を通って中へ入ると…。
絢爛な輝きを放つ社殿が目の前に現れました。権現造、総漆塗、極彩色が施された社殿。彫刻や模様などに桃山時代の技法が取り入れられています。
なお、家康の遺命は、ここ久能山への埋葬と日光山への神社造営だったので、のちに日光東照宮も建立されました。


(社殿)
家康の眠る廟所(神廟)は、社殿の裏手にある参道を歩いて程なく、東照宮境内の最奥にあります。
絢爛な社殿とは一線を画す荘厳で神秘的な空間のなかに、「東照大権現」徳川家康の廟が鎮座していました。


(神廟)
神廟は、家康の遺命に従い、西向きに建てられました。その理由は、なおも戦の火種となりかねない西国に睨みを効かせるためとも言われます。
死してなお、泰平の世に心を砕く…。その思いは後代に受け継がれ、「パクス・トクガワーナ」(徳川の平和)と呼ばれる、世界に誇る250年もの平和な時代をもたらしました。


以上で、徳川家康ゆかりの地をめぐる「家康を辿る城旅」シリーズ、終了いたします。
生誕の地「岡崎城」から最期の地「久能山」まで、長い間ご愛読いただきましてありがとうございました。
「家康を辿る城旅」シリーズは終了しますが、城めぐりの旅はまだまだ続きます。よろしければ、引き続きブログ「夢中図書館 いざ城ぶら!」をご愛読ください。
ありがとう、徳川家康! ありがとう、「家康を辿る城旅」!
■基本情報
名称:久能山東照宮
住所:静岡県静岡市駿河区根古屋390
アクセス:日本平ロープウェイ または久能山下から徒歩
拝観時間:9:00~17:00