
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、城ぶら「田中城」!徳川家康倒れる!家康が何度も訪れた鷹狩りの地です。

■家康を辿る物語
大阪の陣の終結によって、ようやく戦国の世は終わりを告げました。
徳川家康は、それから間もない元和元年(1615年)7月、禁中並公家諸法度を制定して朝幕関係を規定。さらに武家諸法度・一国一城令を制定して諸大名の行動を規定します。
これによって、徳川による日本全域の支配を実現し、徳川幕府260年の天下の礎を築きました。
元和2年(1616年)1月、家康は鷹狩りをするために、駿府国の田中城を訪れます。
鷹狩り好きの家康は、これまで幾度も同地を訪れ、田中城周辺で鷹狩りを行っていました。
このとき家康は鷹狩りを終えた後、宿舎とした田中城で激しい腹痛に見舞われ倒れます。
医師らの必死の介抱により何とか持ち直した家康は、数日後に居城の駿府城へと戻りました。
しかしその後も家康の病状は回復することはなく、ついに同年4月、最期のときを迎えるのです…。
■城ぶら
田中城は、戦国期にこの地の豪族・一色氏が今川氏の命を受けて築城したのが始まりとされます。
その後武田氏の手に落ちますが、同地をめぐり徳川氏と激しい攻防戦が繰り広げられ、ついには徳川方の城となりました。
この城の特徴は、日本で唯一とされる同心円状の縄張りをした円郭式城郭であること。
航空写真などで見るとよく分かるのですが、直径およそ600mの円形をした城となっています。


(田中城復元図面)
城跡のほとんどは宅地となり往時の遺構は残っていませんが、田中城の南東隅にあった下屋敷跡が一般に開放されています。
これは、平成4年度から8年度にかけて、下屋敷跡の庭園を復元するとともに、田中城にゆかりのある当時の建物をここに移築・復元したもの。とても貴重な文化財となっています。


(冠木門)
入口の冠木門は、当時の図面をもとに復元されたもの。その奥にひときわ目を引く高い建物が「田中城本丸櫓」です。
もともと田中城の本丸にあり、高さ9尺(2.7m)の石垣の上に建っていたといわれます。櫓内には、田中城に関する史料が展示されていました。


(田中城本丸櫓)
他にも、茶室や仲間部屋(ちゅうげんべや)など田中城ゆかりの建物が、当地に移築・復元されています。
茶室は、もとは田中藩家老の茶室であったと伝えられるもの。仲間部屋の鬼瓦には、城主・本多家の家紋が刻まれていました。


(左:茶室、右:仲間部屋)
徳川家康は、大好きな鷹狩りをするために何度も田中城を訪れました。その数、亡くなるまでの約7年間で15回以上といわれます。
その最後の訪問となったのが、元和2年(1616年)1月の鷹狩りでした。その日も鷹狩りを楽しんだ家康でしたが、宿舎とした田中城で激しい腹痛をもよおし倒れます。
一説には、鯛の天ぷらの食べすぎとも言われてますが、その後の経過などを見ると、胃がんに冒されていたと考えられます。
家康はこの後、田中城から移った居城の駿府城で、75年の生涯を閉じることになるのです…。
■基本情報
名称:田中城跡
住所:静岡県藤枝市田中3丁目14−1
アクセス:藤枝駅からタクシーで15分
開場時間:9:00~17:00
旧上備:月曜日、祝休日の翌日、年末年始