
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「知立古城」!神主にして城主・永見氏の興亡と、家康の側室「於万の方」ゆかりの地です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
知立古城(ちりゅうこじょう)は、知立神社の神主を務めていた永見氏の居館が、その始まりとされます。
永見氏は、平安時代末に後白河院の北面の武士として保元・平治の乱に従軍した名門で、古くから当地を治めてきました。
戦国時代には、刈谷城の水野氏との関係を深め、さらには松平清康、次いで今川義元に従いました。
そんな名門永見氏に驚天動地の事態が訪れます。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、尾張の織田信長が今川義元を討ち取ったのです。
今川方に与していた永見氏は、敗走した今川軍を追う織田軍によって攻められ、あえなく落城しました。
天正年間(1573年~1592年)、永見氏に代わって知立城を支配した刈谷城主・水野忠重によって御殿が建てられます。
寛永7年(1630年)には将軍上洛用として増築されましたが、元禄12年(1699年)の大地震により倒壊。その後再建されることはありませんでした。
■城ぶらり
それでは、知立神社の神主を務めながらも武士としての顔を持つ永野氏ゆかりの知立古城跡をぶら歩きしましょう。
知立古城は、かつての三河国、現在の愛知県知立市にありました。
残念ながら城跡は住宅地となり遺構は存在しませんが、隣接する公園に城址碑と案内板が設置されています。
今は遊具も設置されている憩いの場ですが、ここに織田軍が攻め寄せて来たかと思うと、背筋が冷えます。


この城跡の目と鼻の先に「知立神社」があります。まるで、お城が神社を守る「盾」の役割を果てしているようです。
この辺りに、神職と領主が一体だった永見氏の特殊な統治スタイルを感じることができます。永見氏はどんな思いで2つの場所を行き来してたのでしょうか。


厳かな空気ただよう知立神社の境内に、思いがけない歴史上の人物の像がありました。
それが、徳川家康の側室で、次男・秀康を生んだ「於万の方」像。彼女は、知立城主・知立神社神主の永見貞英の娘で、当地で生まれています。
実は、秀康は双子で生まれました。ただ当時は双子は不吉とされていたため、一人は実家の永見家に引き取られ、後に神主・永見貞愛となったといいます。


今日の夢中は、城ぶら「知立古城」!神主にして城主・永見氏の興亡と、家康の側室「於万の方」ゆかりの地でした。
ありがとう、知立城! ありがとう、永見氏そして於万の方!
■基本情報
名称:知立古城址
住所:愛知県知立市西町西11
アクセス:名鉄「知立駅」から徒歩約10分
開城時間:24時間








