秀吉が選んだ信長の廟所!京都・船岡山の「建勲神社」で天下布武の跡を辿る

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、秀吉が選んだ信長の廟所!京都・船岡山の「建勲神社」で天下布武の跡を辿る…です。

■歴史と沿革

京都の街を一望できる船岡山(ふなおかやま)に鎮座する「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)。
ここに祀られているのは、あの天下人・織田信長です。戦国乱世を駆け抜けた不世出の英雄を祀るこの場所には、様々な歴史の記憶が刻まれています。

船岡山は、今から1200年前、平安京の北の起点(真北)とされた、標高112mの霊山です。
平安時代には、清少納言が枕草子で「丘は船岡…」と讃えるなど、多くの和歌でもうたわれる美しい山でもありました。

戦国時代に入ると、その美しい山も戦いに巻き込まれます。応仁の乱では西軍の陣地(「西陣」の由来)となり、軍事的な拠点、つまり城のような役割を果たしました。
この京都の戦乱を鎮めたのが織田信長でした。入洛した信長は「天下布武」を掲げ、天下統一に躍進しますが、あと一歩のところで本能寺の変により夢破れました。

信長の跡を継いだ豊臣秀吉が、主君信長の功績を讃えるため「廟所」と定めたのが、この船岡山でした。
秀吉にとって、信長の威光は天下統一への大義名分そのもの。中世から霊山として知られたこの地を、主君が眠る聖域に選んだ秀吉の意図に、当時の政治的な思惑と信長への敬意が重なります。

以後、船岡山は織田信長の大切な地として伝えられ、明治時代に入り、ここに信長を祀る「建勲神社」が創建されました。
これは明治天皇により「日本が外国に侵略されず独立を保てたのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」と、その功績が改めて称えられたためです。
明治14年(1881年)に織田信忠が合祀、明治43年(1910年)に現在の船岡山山頂へと社殿が移築されました。

■船岡山・建勲神社

それでは、京都の北の要衝「船岡山」(ふなおかやま)にある、織田信長を祀る「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)をぶら歩きしましょう。

神社は、京都市北区の船岡山に位置します。かつて、京都の北を守る「玄武の小山」とされた神聖な場所。
山城恒例の山登り…とまではいきませんが、境内へ至る階段を一歩ずつ登るにつれ、厳かな空気に包まれていきます。

山頂に佇む拝殿は、凛とした空気に包まれています。信長の業績にちなみ、ここは「国家安泰」「難局突破」「大願成就」の神様として信仰を集めています。
混迷の時代を切り開いた覇王・織田信長のパワーが、今もこの地に満ち満ちているかのようです。

境内には、信長が好んで舞ったとされる幸若舞の「敦盛」の一節を刻んだ歌碑がありました。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり…」。その言葉通り、49歳で生涯を閉じた信長の生き様が、時を超えて伝わって来るようでした。

秀吉はここを信長の廟所と定め、この近くの大徳寺の総見院で信長の盛大な葬儀を執り行いました。主君亡き後の豊臣政権を支えた弟・秀長の菩提寺もまた、大徳寺山内にあります。
この船岡山一帯は、織田家から豊臣家へと天下のバトンが渡された、歴史の転換点そのものなのかもしれません。

今日の夢中は、秀吉が選んだ信長の廟所!京都・船岡山の「建勲神社」で天下布武の跡を辿る…でした。
ありがとう、建勲神社! ありがとう、織田信長! ありがとう、豊臣兄弟!

■基本情報

名称:建勲神社(たけいさおじんじゃ)
住所:京都府京都市北区紫野北舟岡町49
アクセス:JR「京都駅」から京都市バス(206系統など)で約30分
開場時間:9:00〜17:00

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