
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
歴史好きの館長が、日本全国の名所旧跡をめぐる歴史散策ブログ。
今回は、いつものお城めぐりではなく、歴史ある古社を探訪する特別編、「寺社ぶら」です。
今日の夢中は、源平合戦のヒーロー・那須与一ゆかりの寺、京都の「即成院」へ。
寺社ぶら「即成院」!扇の標的を射抜いた天才射手・那須与一の伝説と京都東山の隠れた名刹探訪…です。

■歴史と沿革
即成院の始まりは平安時代半ば。関白・藤原頼通の子・橘俊綱が、伏見の地に伏見寺(後の即成院)を建立したのが始まりとされています。
今も即成院に一部が現存する阿弥陀如来と二十五菩薩を祀る、極楽浄土を再現したような格調高いお寺でした。
平安時代末期の1185年、源平合戦のクライマックス「屋島の戦い」。平氏が船の上に掲げた「日の丸の扇」を前に、源氏方の若き武士・那須与一が指名されます。
強風が吹き荒れ、船が激しく揺れる状況下、与一は心の中で神仏に深く祈りを捧げ、放った矢は見事に扇の要を射切りました。
この奇蹟的な一撃により、源氏の士気は一気に跳ね上がり、平氏滅亡へと向かっていくことになります。
この与一が屋島に出陣する途中、病にかかって京伏見で療養中に参拝したのが、この即成院の本尊・阿弥陀如来でした。
屋島の戦いのあと京に戻った与一は仏徳を感じて出家し、この地で静かに念仏を唱える日々を送り、64歳で没したと伝わります。
その後、豊臣秀吉の伏見城築城や明治時代の廃仏毀釈などの荒波を受け、一時廃寺の危機に直面します。
しかし明治32年(1899年)、皇室ゆかりの泉涌寺の山内(現在の地)に移転し、見事に再興を果たして現在に至ります。
■即成院
それでは、那須与一ゆかりの寺、京都東山にある即成院(そくじょういん)をお参りしましょう。
即成院の入り口にあたる「山門」。山門に向かって右手に、歴史の重みを感じさせる石柱が静かに立っています。刻まれている文字は「那須与一宗高之墓」。
「宗高」は与一の本名(実名)です。重厚な毛筆体の書体で彫られており、ここが弓の名手の眠る地であることを示しています。


境内に入ると、目の前にどっしりと建つ「本堂」。与一が病気治癒と戦勝を祈願したとされる阿弥陀如来像が安置されています。
阿弥陀如来を中心に、様々な楽器を手にした25体の菩薩様がずらりと並んでいる姿は荘厳。与一が深く帰依したのもよく分かります。※残念ながら本堂内は撮影禁止。

本堂の右手前には、「与一の手洗い場」と看板が掲げられた手水舎があります。
那須与一の功績にあやかり、「願いが的へ」かなうように、湿らした手に扇形の紙石鹸をのせ、願いを込めて手を洗いました。

そしていよいよ、那須与一の墓所へ向かいます。本堂の裏手、緑豊かな静寂の中に、与一の墓・供養塔とされる、石造りの重厚な宝篋印塔がありました。
与一が「一矢命中」で願いを叶えたことから、現在では「願掛け」「勝負運」「病気平癒」にご利益がある聖地として全国から参拝者が訪れます。しっかりと手を合わせ、自分の目標の一矢必中を祈願しました。

即成院は、源平合戦「扇の的」の逸話で知られる那須与一の生き様と祈りがぎゅっと詰まった名刹でした。
京都東山を訪れた際はぜひ足を運んでみてください。あなたの人生の目標や願い事を射抜くきっかけになるかもしれません。
今日の夢中は、寺社ぶら「即成院」!扇の標的を射抜いた天才射手・那須与一の伝説と京都東山の隠れた名刹探訪でした。
ありがとう、即成院! ありがとう、那須与一!
■基本情報
名称:即成院
住所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町28
アクセス:JR/京阪「東福寺駅」から徒歩約10分
営業時間:9:00~17:00








