城ぶら「鳴海城」!織田信長も攻城に苦しんだ…桶狭間ゆかりの城跡

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、城ぶら「鳴海城」!織田信長も攻城に苦しんだ…桶狭間ゆかりの城跡です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

鳴海城(なるみじょう)は、室町時代の応永年間(1394年〜1428年)に足利義満配下の安原宗範によって築かれたと伝えられています。

この城が歴史の表舞台に現れるのは、天文21年(1552年)のこと。もともと織田信秀に仕えていた守将・山口教継が、信秀の死に乗じて今川義元へと寝返ったのです。
これに怒った若き日の信長は、鳴海城を奪還しようと軍を動かしますが、教継の巧妙な策により苦戦を強いられます。

信長は、鳴海城を封じ込めるために、周囲に「丹下砦」「善照寺砦」「中嶋砦」という3つの砦を築き、厳重な包囲網を敷きました。
永禄3年(1560年)、今川義元がこの鳴海城の救出を名目の一つとして、大軍を率いて尾張へ侵攻。これが有名な「桶狭間の戦い」へと繋がります。

桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、周辺の今川方の城は次々と孤立…。しかし鳴海城は、このとき城主を務めていた岡部元信の奮戦により持ちこたえました。
最終的に、元信は義元の首級と引き換えに城を明け渡すという条件を呑み、ついに城は信長の手に落ちました。

その後は、織田方の佐久間信盛・信栄父子が城主を務め、天正18年(1590年)頃には廃城になったといわれます。

■城ぶらり

それでは、織田信長と今川義元の決戦「桶狭間の戦い」につながる、鳴海城跡をぶら歩きしましょう。

鳴海城の跡地は現在、住宅地として開発が進み、当時の遺構はほとんど残っていません。
マンションなどが立ち並ぶ中に「鳴海城跡公園」(名古屋市緑区)があり、その小さな公園の名前にわずかに「城跡」の名残りを残すのみです。

公園のすぐそばにある「天神社」を訪れると、そこに「史跡 鳴海城址」の石碑が建っていました。
この辺りも城域だったのでしょう。その説明板には、城の規模が「東西75間、南北34間で四面に堀跡、本丸と二の丸・三の丸にも堀を残す」と記されています。

さすがは、信長が攻めても容易に落ちなかった城。相当の防備が施されていたことが伺い知れます。
そんな風な目であらためて当地を眺めてみると、確かにこの辺りは周辺より小高い位置にあり、一部は断崖のようになっています。

織田信長が周辺に砦を築いて持久戦に持ち込もうとしたことも、岡部元信が桶狭間合戦後もしぶとく耐えたことがよく分かります。
今日の夢中は、城ぶら「鳴海城」!織田信長も攻城に苦しんだ…桶狭間ゆかりの城跡でした。

ありがとう、鳴海城跡! 桶狭間の戦いゆかりの城跡でした。

■基本情報

名称:鳴海城跡
住所:愛知県名古屋市緑区鳴海町城3
アクセス:名鉄「鳴海駅」から徒歩約10分
開城時間:24時間

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