
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、"大坂冬の陣"終戦!和議に至るも新たな火種…裸同然となった「大坂城」の運命は?です。

■家康を辿る物語
慶長19年(1614年)12月18日に始まった徳川・豊臣の交渉は、19日に講和条件が合意。
翌20日に誓書が交換されて講和が成立しました。同日、家康・秀忠は諸将の砲撃を停止させています。
講和内容は、豊臣方の条件として、①本丸を残して二の丸・三の丸を破壊し、惣構の南堀、西堀、東堀を埋めること、②淀君を人質としない代わりに大野治長、織田有楽斎より人質を出すことの2点。
対する徳川方の条件は、①豊臣秀頼の身の安全と本領の安堵、②城中諸士について不問とすることの2点でした。
講和の合意に基づき、講和内容が実行されます。二の丸の破壊と堀の埋め立ては豊臣側、三の丸の破壊と外堀の埋め立ては徳川側が担当。
徳川方の動きは迅速でした。家康名代の本多正純や成瀬正成・安藤直次のもと、包囲軍や地元住民を動員した突貫工事で外堀の埋め立てを瞬く間に完了させます。
さらに翌1月には二の丸の埋め立てに着手。周辺の家や屋敷を破壊してまで埋め立てを強行しました。加えて諸大名が大坂から帰国する際、門や櫓も破壊…。
これにより、大坂城は天下の堅城から一転、内堀と本丸のみを残す裸同然の無防備な城となったのです。
■大坂城
ついに終戦のときを迎えた「大坂冬の陣」。その戦いの舞台となった大坂城を訪れます。
日本100名城の一つ。日本三大名城の一つにも数えられる名城です。
豊臣秀吉が築城し、のちにその豊臣家の滅亡を見届けることになる大坂城。
一般的には豊臣の城という印象が強いですが、残念ながら秀吉が築いた大坂城(豊臣大坂城)は現在、そのほとんどが地中に埋没してしまっています。


(左:大手門、右:千貫櫓)
現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は、元和6年(1620年)から寛永6年(1629年)にかけて徳川秀忠が築いたもの。
このとき徳川方は、豊臣大坂城の跡を破却、その上に盛り土までして新たな城郭を造りました(徳川大坂城)。豊臣の痕跡を消したかったのかもしれませんね…。


それでも、大坂城の威容は圧巻。特に圧倒的なインパクトを誇るのが天守閣です。
こちらは1931年に竣工した復興天守。徳川時代の天守台の上に、大坂夏の陣屏風絵などを参考に豊臣時代の天守閣を模擬復興しています。


いわば、徳川と豊臣の合体天守とも言えますね。時を越えてようやく両者がタッグを組めたことを祝いたい…。
しかし、さかのぼること400年前、両者の関係は薄氷を踏むようなもの…。冬の陣を終えてなお、豊臣方で反徳川の機運は収まらず、ふたたび戦乱の火種を生むことになるのです。
■基本情報
名称:大坂城天守閣
住所:大阪府大阪市中央区大阪城1−1
アクセス:大阪メトロ「天満橋駅」「森ノ宮駅」「谷町四丁目駅」から徒歩15分、JR「大坂城公園駅」「森ノ宮駅」から徒歩15分
営業時間:午前9時~午後5時
休館日:12月28日~1月1日