こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「伏見城の戦い」!鳥居元忠、決死の籠城戦…反家康の狼煙が上がる…です。
■伏見城の戦い
慶長5年(1600年)6月、徳川家康は大坂城を発って、会津上杉征伐に向かいます。
それを待っていたかのように、前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は毛利輝元に上坂を要請しました。
三奉行は、家康が犯した違背の数々を書き連ねた「内府ちがひの条々」を諸大名に送付し、反家康の旗幟を鮮明にします。
これらと動きを一にして、石田三成は秀吉の眠る豊国神社を参詣、家康を討つべく兵を挙げます。ここに後の関ヶ原「西軍」が起ちあがりました。
西軍は、家康家臣・鳥居元忠が留守を勤めていた伏見城に攻撃を開始します。
攻め寄せる三成ら大軍に対して、城方はわずか1,800人。それでも元忠は降伏勧告を拒否し、徹底的に抗戦しました。
これに先立つこと1か月前、元忠はこの事態を予期して、会津に出陣する家康と別れの盃を交わしていました。
元忠の玉砕覚悟の籠城戦は13日間に及びました。慶長5年8月1日、西軍の兵が城内に雪崩れ込むとついに城は陥落、元忠も討死しました。
関ヶ原の前哨戦となる伏見城の戦い。伏見城は落ちましたが、寡兵の鳥居軍が10日間以上も奮戦したことにより、西軍の思惑は大きく狂わされることになったのです。
■伏見城
いよいよ始まる関ヶ原…。今日は、その前哨戦となった伏見城の戦いのあとをめぐりましょう。
伏見城は、豊臣秀吉によって築かれた、現在の京都市伏見区の桃山丘陵にあった城です。
秀吉没後は、徳川家康がこの城に入り政務をとりました。家康が会津に出兵すると家臣の鳥居元忠がこの城を守りました。
いま桃山の地を訪れると、荘厳な2棟の天守…3重4階の小天守と5重6階の大天守がそびえ立ちます。
ただ残念ながら、この天守は昭和期に建てられた模擬天守。かつて当地にあった遊園地のシンボルとして造られたもので、その場所も実際の本丸があった場所ではなく花畑曲輪跡付近です。
それでは実際に伏見城があった場所はどこかというと、現在の明治天皇の墓所「伏見桃山陵」付近とされます。
京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によると伝わります。墳墓は上円下方墳。約60メートル四方、高さは約6.3メートルあります。
残念ながら伏見桃山陵は立ち入ることができませんが、模擬天守から当地に至る道筋に、当時の伏見城をしのぶ遺構が残ります。
道端にずらりと置かれてある巨石群…。後に廃城となった伏見城の石垣の一部です。人工的に削られた跡も見受けられます。
これら石垣は、関ヶ原の前哨戦「伏見城の戦い」をどのように眺めたのでしょうか…。
同城を守る鳥居元忠は決死の籠城戦を繰り広げましたが、最後には力尽き、城は三成ら西軍のもとに落ちました。
京都・大坂でのぼる反家康の狼煙…。どうする家康?続きはまた当ブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」にて綴ってまいります。
■基本情報
名称:伏見桃山陵
住所:京都府京都市伏見区桃山町古城山
アクセス:JR「桃山」駅下車徒歩13分
拝観時間:8:30~17:00