こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、徳川家康陣地跡「今井陣場」!続々進軍する豊臣勢…小田原包囲網が築かれる…です。
■家康を辿る物語
山中城と周辺の諸城を落とした秀吉軍は、箱根峠を越えて小田原に進軍しました。
徳川軍約3万も三手に分かれて進撃、足柄城や鷹ノ巣城などを落とし、北条氏の本拠・小田原に向かいます。
そして天正18年(1590) 4月、小田原城の東方の今井村で合流、そこに布陣しました。
家康は土豪・柳川和泉守泰久の館を接収して陣所とし、周囲を土塁と堀で囲んで陣城を構築しました。
徳川軍に続くように、豊臣方の武将が続々と小田原に集結、北条包囲網を築きます。
この包囲網が築かれていく間、北条方からは抵抗らしい抵抗はありませんでした。
徳川軍はここから、北条方の玉縄城や小田原城の篠曲輪などに攻撃を仕掛けました。
そのような中、主戦派の父・北条氏政と意見を異にする北条氏直は、ひそかに和議の道を探ります。頼ったのは岳父の家康でした(氏直の妻は家康の娘・督姫)。
■今井陣場
今日は、小田原合戦のとき徳川家康が陣所とした「今井陣場」をぶら歩きしましょう。
家康軍が陣を置いた「今井村」は、現在の小田原市寿町辺り、小田原城の東方にありました。
いまは何もない平坦な土地…畑が広がる低湿地帯。当時は周囲に土塁を築いたとされますが、それにしても防備が難しい場所に見えます。
石垣山をはじめ丘陵部に陣を構えた豊臣軍と比べてもかなり不利な立地。
この辺りは、北条氏を説得できなかった当時の家康の微妙な立場を表しているのかもしれません…。
その陣跡に建つのが「徳川家康陣地跡の碑」です。石碑には「神祖大君営址ノ碑」という文字が刻まれています。
これは、後の小田原藩主・大久保忠真が家臣・岡田左太夫光雄に書かせ、天保7年(1836)建立したもの。後ろにある社は、家康を祀る東照宮です。
家康は、小田原城の出城である篠曲輪や玉縄城などを攻略。一方で、小田原城の北条氏直の和議を求める相談にも応じます。
果して、小田原合戦の行方は…?続きは、次回の当ブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」にて。
■基本情報
名称:徳川家康陣地跡の碑(今井陣場)
所在地:神奈川県小田原市寿町4-14-15
アクセス:(1)JR小田原駅から徒歩25分 (2)箱根登山鉄道バス「今井」バス停からすぐ