
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。
今日の夢中は、城ぶら「高松城」!日本三大水城の一つ、玉藻の海に守られた名城です。

■城語り
まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。
香川県高松市にある高松城は、日本三大水城のひとつに数えられる名城です。
別名「玉藻城」とも呼ばれ、瀬戸内海の海水を直接堀に引き入れた独特の構造を持ち、その景観は今も訪れる人々を魅了します。
高松城の築城は天正16年(1588年)、豊臣秀吉の家臣であった生駒親正によって行われました。
播磨国から讃岐国に移封された親正は、海上交通の要衝である高松の地を選び、防御と物流の利便性を兼ね備えた水城を築きます。
日本初の本格的な海城と呼ばれる高松城の縄張りは、黒田孝高が手掛けたといわれ、細川忠興、小早川隆景、藤堂高虎などによるとも言われています。
以後、生駒氏は4代約54年にわたり城主を務めましたが、寛永17年(1640年)に生駒騒動といわれるお家騒動が起こり改易。
代わって、常陸国から松平頼重(徳川光圀の兄)が高松に移封、城主に就任します。以降、明治維新まで松平家が11代にわたり讃岐を治めました。
明治期に廃城令を受け廃城。天守は明治17年(1884年)に取り壊されましたが、現在も三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存しています。
■城ぶらり
それでは、香川県高松市にある高松城、別名「玉藻城」跡をぶら歩きしましょう。
日本100名城のひとつに数えられる名城。城跡は現在、「玉藻公園」として整備されています。


城内(園内)に足を踏み入れると、さすがは日本三大水城の筆頭にも挙げられる水城。
城の周囲を堀がめぐっています。かつては城壁が直接瀬戸内海に接していたようです。いまも堀には海水が引き込まれ、放流された鯛なども生息しています。
なお、高松城の別名にもある「玉藻」とは、瀬戸内海の一部を指す古い呼び名です。
「万葉集」などにも讃岐の海を美しくたたえる表現として登場。美しい海藻や水草のことを指し、きらめく水面に揺れる藻が玉のように美しいことからこの名がついたとされます。


そんな堀にかかる廊下橋が「鞘橋」です。二の丸から本丸へ続く唯一の動線であり、この橋を落とすことで本丸を守ることのできる構造となっています。
当初は屋根や側壁はなく「らんかん橋」と呼ばれていましたが、江戸時代中頃に屋根付きの橋になったと考えられます。


鞘橋を渡って本丸へ。本丸は城のほぼ中央に位置し、周りを内堀に囲まれ他の曲輪とは完全に独立しています。
その本丸の東端に天守台があります。かつては、ここに3重5階建ての天守が建っていました。
天守は、生駒期のものを松平頼重が改修して完成させましたが、明治17年(1884年)に老朽化のため取り壊されています。


天守が現存していないのは残念ですが、往時をしのぶ壮観な櫓跡を見ることができます。
その一つが北の丸にある「月見櫓」です。北の丸は、松平氏入封後に新たに海面を埋め立てて造られた曲輪で、月見櫓はその隅櫓として築かれました。


この月見櫓と同時期に建造されたとされるのが、現在は桜の馬場曲輪に建つ「丑櫓」(うしとらやぐら)です。
もともとは東の丸の北東の隅櫓として建てられましたが、昭和期に現在の場所に移築復元されました。


他にも、桜御門や水門、庭園など見どころ盛りだくさん。また、春の桜や秋の紅葉など四季折々の風景を楽しめるのも醍醐味です。
海と城が融合した希少な歴史遺産「高松城」。歴史好きはもちろん、写真や景観を楽しみたい人にもおすすめです。
今日の夢中は、城ぶら「高松城」!日本三大水城の一つ、玉藻の海に守られた名城でした。
ありがとう、高松城! ありがとう、玉藻公園!
■基本情報
名称:高松城跡(玉藻公園)
住所:香川県高松市玉藻町2−1
アクセス:JR高松駅から徒歩5分









