医王寺山「武田勝頼本陣跡」!進軍か退却か?武田の命運を左右する軍議の行方は?

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、医王寺山「武田勝頼本陣跡」!進軍か退却か?武田の命運を左右する軍議の行方は?です。

■家康を辿る物語

織田・徳川連合軍、来たる…。
長篠城の包囲を続けていた武田軍に、その一報が伝わります。

武田勝頼は直ちに、宿将を本陣に集め軍議を開きます。進軍か、退却か…。
信玄時代からの重鎮たち、山県昌景、馬場信春、内藤昌秀らは、信長自らの出陣を知って撤退を進言します。

一方、勝頼の側近である若手武将の意見は、信長何するものぞと開戦に積極的でした。
結局、勝頼は側近の意見を採り入れ進軍を決定。織田・徳川軍との全面衝突の道を選択したのです。

勝頼は、武田氏相伝の家宝「御旗楯無」を持ち出し、惑う家臣らに進軍を下知しました。
やむなく山県、馬場ら重臣も従いますが、心のうちでは敗戦を予感…。出陣の前に一同集まり、別れの盃を交わしたといいます。

そして決戦の地、設楽原へ…。ついに織田・徳川軍と武田軍の決戦が始まるのです。

■武田勝頼本陣跡

長篠城攻略にあたって、武田勝頼が本陣を置いた場所があります。
それが、長篠城から北に1kmほどの医王寺山。医王寺の裏山に陣城として築いたのが「武田勝頼本陣跡」です。

(医王寺)

当地を訪れると、そこはもはや寺社ではなく山城でした…。
標高120mの医王寺山に、ところどころ曲輪と思しき陣地跡がありました。もちろん山道を歩くので足に来ます…。訪問の際はご留意を。

(見晴台)

医王寺山の頂付近にも曲輪があります。城でいうと本丸にあたるところでしょうか。
そこに物見櫓が再現されていました。戦況を窺うために勝頼もここに詰めたものと考えられます。

(物見櫓)

ここから南方に長篠城を窺うことができます。さらに同城を包囲する武田軍の各陣を展望することもできます。
さらには西方への視野も広がり、長篠救援の軍が近づくことも視野に入れることができます。

(本陣跡からの風景)

そしてやって来るのです。長篠城を救援しようとする、信長と家康の連合軍が…。
いよいよ始まる、戦国史に残る「長篠設楽ヶ原の戦い」。それについては、また後のブログ「夢中図書館 いざ城ぶら」で綴ることにしましょう。

■基本情報

名称:医王寺山 武田勝頼本陣跡
住所:愛知県新城市長篠弥陀の前2
アクセス:長篠城址から車または徒歩

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